22サルガド5

3399 【不浄】

キングストン協定違反者への処罰がひとまずの終焉を見せた後、サルガドはレッドグレイヴの使者として地上とパンデモニウムを頻繁に行き来する生活を送っていた。

レッドグレイヴ直属の使者として各国の首脳とパンデモニウムの橋渡しを行い、時には勅命によって協定審問官では手に負えないような任務を遂行することもあった。

――失われた遺産である自動人形の制作者や、不死皇帝との邂逅。

――他のパンデモニウムの民では到底対処しきれないような者達との交渉や駆け引き。

そういった事案に対して冷静に対応できるのは自分かレッドグレイヴ様のみである、という自負すらあった。

しかし、地上へ派遣されるということは、同時に命の危険に晒されるということでもあった。

追跡から逃れた開放派や連隊の残党などは危険極まりなく、幾人もの協定審問官が命を落としていた。そんな協定審問官に代わって、サルガドが直接手を下すこともあった。

手酷い反撃を受け、傷を負うことも再三だった。

「大丈夫すか? ああ、生きてますね。回収しに来ましたよっと」

間の抜けたような、気の抜けたような、そんな声で怪我をしたサルガドを回収する者がいる。

協定審問官のユハニだった。危険地帯で物陰に退避しているサルガドを、特殊なビーコンで探し出して回収する。

ユハニは《渦》が消滅してから協定審問官となった人物で、身体能力や体力は他の協定審問官より抜きん出て高く、地上での超長期の任務に適正がある。その適正故、彼はパンデモニウムにいる時間よりも地上へ降りている時間の方が遥かに多い。

サルガドはそのように聞いていた。

しかし、概ねどの様な人物に対してもへらへらとした態度を崩さないユハニを、サルガドは好ましく思っていなかった。

とはいえ、危険地帯に赴くことの多いサルガドを保護できるだけの実力を持った者がユハニ以外にいないこともまた事実である。

ユハニに危機的状況から救われる度に、サルガドは苦虫を噛み潰したような顔をするのだった。

そんな風に幾度となく命の危険に晒されたが、サルガドは『必ず生きて帰って、このような目にあわせた地上の者を必ず断罪してやる』という一心で生還を果たしていた。

選ばれし民である己が、下賎な地上の者に苦汁を嘗めさせられたままでいる訳にはいかなかった。

サルガドは死者の軍勢を制御する鍵であるベリンダを回収するために、タイレルと共に商業都市プロヴィデンスの調査へと赴いていた。

死者の軍勢が蔓延る場所など虫唾が走る思いだったが、ベリンダに関して何かしでかす危険性のあるタイレルを監視できるのは自分しかいない、という思いもあり、同行を承諾した。

ガレオンのブリッジで、ベリンダだった人形から光る何かが立ち上がってくる。その光る何かはベリンダの肢体にまとわりついたまま、離れる気配を見せない。

「タイレル、どうする気だ」

「ベリンダを回収します。急いで調査して対策を立てなければ……」

タイレルはベリンダを回収する機材の準備をし始める。

ただの人形となったベリンダを解体しようと、ベリンダに近付いたその時だった。

タイレルの背後に、突如として人が現れた。

「タイレル!」

サルガドは背後の人物に向かってワイヤーを射出する。

ワイヤーは切られこそしなかったものの、突如現れた人物の武器によって払い落とされた。

「な!?」

瞬きする間もない出来事だった。

サルガドはその人物に凄まじい力で蹴り飛ばされる。サルガドはブリッジの床に転げた。

すぐさま起き上がるも、体中から痛みが走る。肋骨の何本かが折れているのだろう。

油断をしたつもりは一切なかった。ただ、相手があまりにも俊敏だった。

「その女を渡してもらおう」

サルガドを一蹴した人物は低い男の声で、タイレルを見下ろす。

「何者ですか? 誰であろうと彼女を渡すことはできません」

「渡せと言っている」

「できません!」

タイレルと男の間に球状物体が浮遊した、球状物体は男を目掛けて飛んでいく。紙一重のところでそれを回避する男だが、球状物体は男の衣服を焼いていた。

「貴様……」

男の声が苛立ちに彩られる。

「サルガド、逃げてください!」

男の声に構わず、タイレルはサルガドに向けて叫んだ。

「何を言――」

「貴方にはこれらのことをレッドグレイヴ様に報告する義務があるでしょう」

強い口調であった。そうだ、ここで共倒れになれば、誰がこの事態をレッドグレイヴ様に知らせるのか。

「早く。状況は全て飛行艇の記録メディアに送信しています。貴方は何としてもパンデモニウムに!」

タイレルの言葉を聞いた男がサルガドの方を振り向くが、球状物体がすぐさま男とサルガドの間に入り込む。

その隙に、サルガドはガレオンのブリッジを抜け出した。

飛行艇に向かう道すがら、幾体もの死者に襲われた。

サルガドは義手から放つワイヤーで死者を一掃するも、先程の男から苛烈な攻撃を受けていたためか、何度も死者から噛み付かれてしまった。

それでもサルガドは、パンデモニウムへ帰還することを諦めてはいなかった。

選ばれし民である自分、全ての支配者であるレッドグレイヴ様の代理として働く自分が、下賎な地上の者にただやられて終わる訳にはいかない。

過去に反撃してきた地上の者、痛烈な一撃を加えてきた先程の男。何としても生きて、彼奴等に目にものを見せねばならない。己が手を下さなければならない。その思いがサルガドの気力となっていた。

死に物狂いで飛行艇に辿り着き、急いで発進させると、パンデモニウムまで自動操縦に切り替える。

あとは懸命に意識を失わないようにした。意識が途切れれば、そこで死んでしまうと思った。

パンデモニウムのフライトデッキにサルガドを乗せた飛行艇が降着した。

サルガドはぼろぼろの身体を引き摺って、飛行艇から転がり落ちた。

よく磨かれた金属質の路面がサルガドの目に飛び込んでくる。その綺麗な路面を見たサルガドは、帰ってこられたのだと安堵した。

状況は飛行艇から通信で済ませてあった。自分が瀕死であることも伝えてあったので、すぐに救急班が駆け付けてくる。

「お疲れさんです、サルガド様」

へらへらとした声がする。聞き覚えのあるその声に、サルガドは眉を顰めた。

「ユ……ハニ……か……」

息も絶え絶えのサルガドを見下ろすように、協定審問官のユハニが立っていた。

「サルガド様、一つご報告があるんですけど、いま聞きます?」

「そう……か、早く……報告を……」

「んじゃ早速。【違反者サルガド、パンデモニウムに死者の毒を持ち込んだ罪で焚刑に処す】。以上です」

その言葉をサルガドの脳は理解しなかった。否、できなかった。

困惑するサルガドを見つめるユハニの目は、酷く可哀想なものを見る目であった。

ユハニの憐憫が自身に向けられていることに気付いた時には、もう遅かった。

ぼろぼろの肉体を引き摺るサルガドを、幾人もの協定審問官が囲んでいる。彼らの手に携帯型の火炎放射器があることを認識したが、何故それが自分に向けられているのかは理解できなかった。

「何故……? レッドグレイヴ様は……何と……」

「さあ? 知らないっす。でも、ダメなんすよ。パンデモニウムに不浄なモンは持ち込めないんすわ。それはアンタが一番よく知ってるでしょ?」

「違、う……わた、しは……」

「恨むなら、タイレルと一緒にプロヴィデンスに降りた自分を恨むんだな」

ユハニの声色が、やる気のない気怠げなものから一変する。

「やれ。肉片一つ残すな」

号令が下った。サルガドの肌を火炎放射器の業火が撫でた。

焼ける。熱い。何故、何故、何故?

疑問と熱が思考を埋めつくす。肌を撫でる炎を振り払おうと身悶えた。

何かが自分から零れ落ちた。視線の先に、まだ生身の左腕があった。

炎に焼かれながらも、はっきりとわかる。その腕は腐って、肉が剥げ落ちている。

ここで漸く、サルガドは自分が醜く不浄な地上の死者達と同じものになっていると気付いた。

自分が最も嫌ったものに成り果てるという嫌悪と恐怖に、思考が塗り潰されていく。

「あ、あ……ひ、あ……」

叫びにならない叫びと共に、サルガドの思考は灼熱の恐怖に完全に支配されていくのだった。

「―了―」