25ミリアン5

3387 【家族】

「ジ・アイ攻略作戦の凍結を解除する」

――連隊の精鋭で構成されたE中隊の全滅――。この最悪の結果を迎えた第一次ジ・アイ攻略作戦。一個中隊の壊滅という結果は、現状ではジ・アイ攻略の見込みが立たないとされ、打開策が見つかるまで作戦は凍結とされていた。

「ロッソ技官が一隻のみ帰還したE中隊のコルベットにあったデータを解析し、ジ・アイ専用のコア回収装置の理論を完成させた」

連隊付きエンジニアであるロッソが発表した『量子通信を応用した世界軸間でのコア回収同期装置』。これが実用に値するとパンデモニウムに認められ、ジ・アイの完全な消滅に目処が付いたのだった。

「ジ・アイは混沌を撒き散らす渦の中で、最も巨大な結節点《ノード》である。綿密なシミュレーションの結果、ジ・アイのコアを回収すれば、他の渦も消滅することが判明した」

テクノクラートが作戦室のモニター上のジ・アイに大きなバツ印を表示させる。それに連動して、地図上の全ての渦にバツ印が付く。

「作戦プログラムは用意した。これを基に各中隊の役割を決定し、動的シミュレーションを実施せよ。攻略作戦開始日は三三八九年風月七日。この日まで、専心して動的シミュレーションでの成功率上昇に務めてもらう」

作戦室のエンジニアが第二次ジ・アイ攻略作戦の概要と、各中隊が為すべき仕事を発表していく。

「スミス司令、この内容でよろしいですかな?」

「ああ、問題ない。皆もそれでいいな?」

テクノクラートの言葉に、スミスと呼ばれた男は神経質そうに頷いた。この頼りなさげな風貌の壮年の男性。これが現在の連隊総司令であった。

数年前、スターリングは連隊長の座を辞していた。

暫くの間は長年彼の副官的な立場であったミルグラムが連隊長代理となっていたが、それもパンデモニウムがスミスを着任させたことによって役目を終えた。

そして、そのミルグラムもスターリングを追い、連隊から去ってしまっていた。

新連隊長のスミスは南方にある都市国家で長年軍を率いてきたということだったが、今はエンジニアが多数を占める作戦室の提案にただ従うだけの男であった。

そのため、ミリアンを含む古参の隊員達には、彼はパンデモニウムの命令にただ首を縦に振るだけの傀儡のように見えていた。

「運が良ければ、再来年には故郷に帰れるんだな」

「はは。ボード、お前は先走りすぎだ。まずは作戦の成功が第一だろう?」

終わりが見えれば連隊が無くなった後の話も出てくる。それは当然のことだった。動的シミュレーションに関する会議後の雑談でも、そのような会話をする隊員達が増えていた。

「ミリアン中隊長は、渦が全部無くなった後はどうするんです?」

「ああ、そうだな……」

軽い雑談として話を振られたものの、ボードの言葉にミリアンは答えに詰まってしまった。

連隊に入隊して十五年近く。守れなかった家族への弔いを込め、ただひたすらに《渦》を消滅させることだけを考えてきた。

《渦》を消滅させた後のことなど、今の今まで考えたことはなかった。

ボードから話を振られて以降、ミリアンは未来に向けた会話をする隊員達を自然と避けるようになった。

家族を失って連隊に入隊してからのミリアンは、人生の全てを《渦》の消滅に捧げてきたといっても過言ではない。

仲間を失っても、多くの部下を失っても。それでも只がむしゃらに突き進んできた。そんなミリアンにとって、未来を想像することは難しかった。

「浮かない顔をしているじゃないか」

人の多い場所を避けるように食堂の片隅で静かに食事をしていたミリアンに、ラームが声を掛けてきた。

ラームは連隊が再編された際に、エンジニア側の増強要員として配属された人物だ。

エンジニアの中では鷹揚な性質で、必要以上の言葉を交わそうとしないエンジニア達と連隊の隊員達とのパイプ役も担っている。

「そう見えるか?」

「例の件のこともあるからね。仲間が罪を犯すのは見るに耐えんだろう。それは理解できる」

例の件とは、聖騎士の力を悪用する違反者の捕縛のことだろう。力を得れば、それに溺れる者が出るのは当然であった。とうとう都市に出て犯罪行為に手を染める者も現れたため、ミルグラムの主導で本格的に処罰が開始されたのが数年前のことだ。

ミリアンはミルグラムから業務を引き継ぎ、その違反者の捕縛を指揮していた。ラームはその違反者をパンデモニウムに送致する役目を担っている。

その為か、自然とラームと接する機会が増え、適度に雑談を交わす程度には交流があった。

「いや、昔から力に溺れる者は多かった」

ミリアンは溜息を吐く。連隊が発足した当初から、絶えずそういった者が現れていたのだ。

「そうらしいな。いくつか話を聞いたことがある。特に酷い話だと、モーガンという男が我々の開発した装備を奪取し、連隊から逃走したことがあるとか」

「貴方の耳にも入っていたか。もう随分昔の話だというのに……」

貴重な装備を奪取して逃走したということで、ストームライダーを中心とした捕縛部隊が編成されたほどの事件だった。

「《渦》に捕獲部隊が足止めされ、そのまま行方が知れなくなったのだったかな?」

「ああ。その事件に関してはもうどうにもならない。整理も終わっている」

彼らが何か事件を起こしていないかは気掛かりだったが、それも十年以上前の話なのだ。

「では、何か他の悩み事かね?」

「そんなところだ」

「ふむ。よければ話してみて欲しい。吐き出すだけでも、少しくらいは楽になるだろう」

ミリアンは目を瞬いた。いくら鷹揚で気さくであるとはいえ、他者に関心の薄いエンジニアが地上の人間に親身になるとは思えなかった。

だからこそだろうか、ミリアンは打ち明けてしまった。妻子を失った虚無感を《渦》を消滅させることで埋めてきたことを。それ故に未来を想像できない恐怖を。

「今まで敢えて何も考えずにやってきた。だから、先のことを想像できない」

「そういうことだったか。ならばどうだろう。私の研究室に来ないか?」

ミリアンの話を聞き終えたラームはゆっくり頷くと、小さな声でミリアンに囁いた。

「何故?」

「その悩みを解決する可能性が私の研究室にある、と言えばどうかね?」

ラームはそれだけ言うと、研究棟の方へと去っていった。

ミリアンはラームの研究室の扉を叩く。

今までならば胡散臭いと一蹴しただろう。だが、今のミリアンはこの纏わり付くような不安を抱えることに疲れ果てていた。

この不安を取り除くことができるというのなら、縋ってみたい気持ちがあった。

研究室に入ると、ラームとロッソ、そして見知らぬ一人の女性が立っていた。女性の後ろには球体のドローンが浮遊している。

「やあ、ミリアン。よく来てくれた」

ラームと女性は笑顔でミリアンを出迎えた。ロッソだけは不機嫌そうな顔をしていた。

「この人はマルグリッド。我々の同志だ」

「マルグリッドよ。ラームから話は聞いているわ」

「ラーム、ロッソ、これは一体?」

ミリアンは困惑する。ロッソがラームの研究室にいることは理解できる。だが連隊施設に部外者を入れるのは厳禁であり、エンジニアでも例外なく厳しいチェックが義務付けられている筈だ。

「彼女こそが、君の悩みを解決することができる可能性を持った者だ」

「だからと言って、部外者を施設に入れることはできないだろう。どうやって――」

「そんな瑣末なことを気にする必要は無い。こっちはとっとと本題に入りたいんだ」

ロッソが苛立ちを隠しもせずにラームを促す。

「はは、そういうことだ。では本題に入らせてもらうよ」

ラームはミリアンを見据える。その目にはいつもの鷹揚さは微塵も感じられない。

「ケイオシウムの力によって、渦が多重世界のあり得ない可能性を結び付けていることは知っているね?」

ミリアンは頷く。連隊に入った者ならば誰でも知っていることだ。

「だが、それはケイオシウムが持つ力の間違った使い方に過ぎない。暴走が招いた結果と言ってもいい」

「私達はケイオシウムが本来持つ、現実を書き換える力をコントロールするための研究を続けているの」

「現実を書き換えるだと……。そんな都合のいい話など、ある筈がない」

扉を叩いた当初こそ希望を持っていたミリアンだったが、ラームとマルグリッドの話はあまりにも現実から掛け離れていた。

「いいえ、事実よ。私という存在がそれを証明しているわ」

突然、マルグリッドの姿が掻き消え、ミリアンの背後に現れた。そしてミリアンが胸に下げていたドッグタグを取り外す。そしてそのドッグタグを持ったまま、今度はラームの執務机の前に現れてドッグタグをロッソに手渡す。

「信じられんだろうが、この女は研究中の事故でケイオシウムコアと融合している。身体こそ失っているが、このドローンを本体として実存している。何処に行くのも現れるのも自由自在って訳だ」

「私は一度死んで生まれ変わったのよ。そして融合したコアを使い、多元世界を行き来できるようになった」

「本当……なのか。そんなことが可能だなんて」

俄には信じられなかった。だが、目の前でこのような事象を見せ付けられては、彼らの話が事実であると認めなければならなかった。

「現実を見ろ。俺達は不可能と思われていた事象を乗り越えることができる」

ロッソは強い口調で言い切った。

「我々はジ・アイのコアを利用して、あらゆる可能性を見出せる世界へと渡る。そのためには連隊からの協力者が必要だ。見返りは君が望む世界。魅力的な話だとは思わないか?」

「私達に協力してくれれば、貴方の望みを叶えられる。貴方の協力が必要なの、ミリアン」

一瞬だけ迷いが走った。だが《渦》が消えた後、平和になった世界で妻子と共に暮らせるという希望が、ミリアンの胸を照らしてしまった。

「……わかった、協力しよう。で、俺は何をすればいい?」

「契約成立ね。よろしく、ミリアン」

ミリアンは差し出されたマルグリッドの細い手を取った。映像だというが、握手を交わした感触が確かにあった。

マルグリッドの差し伸べた手を取った瞬間から、ミリアンは彼女らに協力した。

マルグリッドのもたらした知識は、ミリアンに確かな希望を与えた。

彼女達に協力することで、失った妻子を取り戻すことができる。

そのためなら、連隊を売り渡すことなど造作もなかった。

竜人の塔の頂上にある吹き抜けで、ミリアンはベルンハルトと対峙していた。

「それと、そいつらを排除しろ」

ロッソの言葉に、ミリアンはベルンハルトへ銃口を向ける。

「悪いが、俺はロッソと行く所があってな」

「何故こんな真似を?」

ベルンハルトの言葉がミリアンの脳を通り抜けていく。長く共に戦ってきた部下であるが、今となっては瑣末なことであった。

「心配するな。 渦は無くなる。新しい世界が始まるんだ」

一瞬の攻防だった。ミリアンは片腕を失ったが、ベルンハルトをコアから遠ざけることに成功した。

そして、ミリアン達はジ・アイのコアに包まれ、ついに零地点へ渡ることに成功した。

零地点に渡ったミリアンは様々な可能性を目にした。そしてその可能性の中に、元気な妻子の姿があった。

だが、マルグリッドが言うには、『航海士』がいなければその可能性を現実のものにすることはできないとのことだった。

ミリアンはマルグリッド達と共に航海士を探し続け、ついにミリガディアのスラムにいることを突き止めた。

かつて連隊の見習い隊士であったレオンを利用し、ラームの手引きで現世界に帰還した。

ミリアンはミリガディアのスラムでアーチボルトと対峙していた。

航海士の少年はアーチボルトと縁があるらしく、幾度もアーチボルトからの妨害を受けたが、深くは詮索しなかった。

かつては背中を預け合った仲間だが、失った妻子を取り戻す障害となるのであれば、殺してしまう以外の道などありはしなかった。

死闘の最中、ミリアンとアーチボルトは少なくない言葉を交わす。

「どうしても理由が知りたい。 何故お前らはジェッドを追う? エンジニア共の意図は何だ?」

どちらにも引けぬ理由があった。だが、その理由の真の意味をどちらも語らなかった。

「エンジニアの連中にも派閥がある。その中でも、奴らはケイオシウムの真の力を解放しようとしている」

「真の力?」

「現実を書き換える力だ。 その力があれば、人は無限の可能性の中から理想の状態を取り出すことができるようになる」

「馬鹿げた話だ」

「その能力、エンジニアの連中が言う『超航海士――スーパーノート――』の力を、あの子だけが獲得できた」

「都合のいい話だ」

ミリアンは妻子と再会するために航海士の少年を得ようとし、アーチボルトは別の信念によって航海士の少年を守ろうとする。

「でかい図体をしているくせに怖じ気付くとはね。 あとはあの鼠一匹だけなのよ」

マルグリッドはアーチボルトを侮っているようだった。

「ミリアン、ここまで来たのだから、最後まで契約を果たしなさい。 あなたの望みはすぐそこよ」

「ああ、わかっている」

ミリアンは地面に突き立てていた戦斧を抜き、アーチボルトが飛び退いた方向へ身体を向けた。

死闘の末、ミリアンはついに仰向けに倒れた。

アーチボルトも共に倒れた。あとはマルグリッドが上手くやるだろう。

「終わりなど無い……。俺達は……」

霞む視界に、零地点で垣間見た妻と娘の姿が映し出されていた。

妻子の表情はわからない。ただ目の前にいる、それだけしかわからなかった。

手を伸ばそうにも、そのような力さえ残っていなかった。

いつまでも差し伸べることができない手。妻と娘の姿が、ミリアンの意識と共に闇に呑まれていった。

「―了―」