67ポレット1

—- 【姉】

少女は暗闇の中に立っていた。

「お前の望みは何だ?」

女の声が少女の耳に届く。

「のぞみ? のぞみってなに?」

少女は女の言葉を理解できていない。

「お前の欲しいものは何だ?」

女は言葉を変えた。

私が欲しいもの――。その言葉に、少女の脳裏に一人の人物の姿が浮かんだ。

「ねえさま……」

「お前の望み、叶えよう」

女の声が響く。

少女の目の前が白んだ。

「ねえさまー」

「なあに、ポレット」

ポレットは広い屋敷の庭で、姉のアリアーヌと共に午後のお茶会を楽しんでいた。

「お茶が飲み終わっちゃったから、ねえさまと遊びたいなー」

空のティーカップを見せながら、ポレットは上目遣いでアリアーヌを見つめる。

「あらあら。お茶会は始まったばかりよ? もうすぐおかわりも来るのに」

「もうおなかいっぱいだよう。遊びたいよー」

ポレットの言葉に、アリアーヌは困ったように笑うだけだった。

それもその筈。アリアーヌの下半身はお茶会用に用意された椅子と融解している。

これではポレットの遊びに付き合うことはできない。

「お茶会のあたくしにわがままを言ってはダメよ、ポレット」

お茶とお菓子を載せたワゴンを押しながら、屋敷からアリアーヌがやって来た。

彼女はワゴンをテーブルの近くに止めると、お茶会のアリアーヌを困らせるポレットの頭を優しく撫でた。

その手はぺとりとした感触をしており、少し生肉のような匂いがした。

「いい匂いね。さすが料理のあたくし」

「ふふ、今日のスコーンは自信作よ」

「ねー、ねえさまー」

笑顔で会話をするアリアーヌ達に、ポレットは口を尖らせて不満を表した。

「あぁ、ごめんねポレット。遊べるあたくしは今、お屋敷の中にいるはずよ」

「行ってもいい?」

「ええ、もちろん。でも、お台所のお菓子やお料理をつまみ食いしてはダメよ?」

微笑みながら言うお茶会のアリアーヌの言葉に、ポレット少しだけ苛つきを覚えた。

「おなかが空いたら戻ってらっしゃい。貴女の分のお菓子は残しておくわ」

「……そうする」

「うふふ、いい子ね」

料理のアリアーヌが再びポレットの頭を撫でる。

「じゃあ、いってきまーす!」

ひとしきり撫でてもらったポレットは、椅子から立ち上がると屋敷に向かって走り出した。

クッキーで出来たお屋敷の扉を開けると、ゼリーで出来た窓を掃除するアリアーヌと、チョコレートで床を磨くアリアーヌと出会う。

「あら、ポレット。お茶会はもういいの?」

「うん。お茶は飲み終わっちゃったんだもん」

「遊べるあたくしなら、地下にいるわ」

床磨きのアリアーヌは地下へと続く滑り台を指差した。

「新しい玩具を作っているみたい。楽しみね」

「うん! ありがと!」

意気揚々とポレットは地下へ降りていく。キャンディで出来た滑り台に乗って、地下へ地下へと進んでいく。

「ねえさまー!」

滑り台の先には、お菓子で玩具を作っている二人のアリアーヌがいた。

砂糖細工のお人形や甘いパンで出来たテニスラケットを、ポレットのために作っている最中であった。

「いらっしゃい、ポレット」

「えへへ、遊んで!」

「いいわよ。何をしましょうか?」

「えっとねー、ねえさまの髪を結びたい!」

「あら?」

「いつもはねえさまに結んでもらってるから、今日はわたしがねえさまの髪を結びたいの!」

「うふふ、いいわよ」

砂糖細工を作っていたアリアーヌが前に進み出る。

いつの間にか、ブレーツェルで出来た椅子がそこに用意されていた。

ポレットは上機嫌で椅子に座るアリアーヌの髪を手に取った。

すると……

「え……?」

ずるり、という感触と共に、アリアーヌの髪がポレットの手に絡みついた。

その髪は薄く切り取った何かの肉だった。

「ポレット?」

呆然とするポレットをアリアーヌが覗き込む。

目の前のアリアーヌの肉の匂いが強くなる。

「どうしたの? あらあら大変。髪が抜けちゃったわ」

パンを片手にやって来たアリアーヌは、何でもないようにポレットから肉を取り上げる。

「ダメじゃない、砂糖細工作りのあたくし。髪の手入れはちゃんとしなきゃ」

アリアーヌを叱るアリアーヌ。だが、その眼は薄い緑色のキャンディで出来ていた。

――ねえさまはこんな肉の塊じゃない。

――ねえさまの髪は絹糸のように艶々としていた。

――ねえさまの眼はキャンディじゃない。

――じゃあ、この目の前のねえさま達は一体誰?

ポレットの思考は疑問で埋め尽くされた。

目の前にいるアリアーヌ達は誰なのか。

そもそも、自分の姉はただ一人のはずだ。

でも、目の前のねえさま達はわたしに優しい。

どんなお願いも、どんな我侭だって聞いてくれる。

でも、でも、でも。

「ちがう」

違和感が、拒絶の言葉となって零れ落ちた。

ポレットの手には、いつの間にか二丁の散弾銃が握られていた。

よく手に馴染んでいるような気もするし、初めて握ったような慣れない感覚もあった。

だがポレットは、これこそがこの嘘の世界を壊すために必要な武器であると、瞬時に理解した。

「いらない」

引き金を引く。その瞬間、肉の髪を持つアリアーヌが蜂の巣になり、穴という穴から緑色の液体を噴出して倒れこんだ。

「これもいらない」

キャンディの眼をしたアリアーヌの顔を散弾が穿つ。アリアーヌから溢れ出る肉がその場を満たした。

ポレットは地上へと歩く。騒ぎを聞きつけたアリアーヌ達が、何事かとポレットに近寄ってくる。

「どうしたの、ポレット? 何か気に入らないことでもあった?」

「まあポレット! そんなものを振り回して、一体どうしたの?」

――どんなに優しくされても。

――どんなに甘やかされても。

――どんなに一緒にいても。

――どれだけ名前を呼ばれようとも。

「これも、これも、これも、これもこれもあれもこれもそれも!!!」

ポレットの意志に呼応して、散弾銃がアリアーヌ達を粉砕していく。

「足りない……」

その呟きに応えるように、ポレットの手に大型のガトリングガンが現れる。

何の躊躇いもなくそれを手に取ると、ポレットはアリアーヌ達に向けて引き金を引いた。

発砲の反動をものともせず、ポレットはついさっきまで楽しく喋っていた筈のアリアーヌ達を毀棄していく。

あるアリアーヌは鮮やかな橙色の血を霧散させ、あるアリアーヌは抜けるような空色の挽肉となって四散する。まるで絵の具をぶちまけたような奇怪な光景だ。

それでも、アリアーヌ達だった肉はうぞうぞと蠢き、ポレットの周囲を這いずる。

「ぽ、れ……と……」

肉塊はそれでもアリアーヌのような顔を作り出し、ポレットに縋り付こうとする。

「きえちゃえ」

己でも意外だと思うほどに冷たい声で、ポレットはその肉塊を踏み潰した。

ポレットは行く道々で現れる姉であり姉ではない何かを、片っ端から撃ち殺していった。

姉のような何かの断末魔が、お菓子と肉で出来た世界に響き渡る。

「あは、あはは」

これで本物のねえさまを探しに行ける。そう思うポレットの顔は笑顔に満ち溢れていた。

極彩色の血と肉の道を作り上げながら、ポレットは足取りも軽やかに進んでいった。

「―了―」