—- 【姉】
少女は暗闇の中に立っていた。
「お前の望みは何だ?」
女の声が少女の耳に届く。
「のぞみ? のぞみってなに?」
少女は女の言葉を理解できていない。
「お前の欲しいものは何だ?」
女は言葉を変えた。
私が欲しいもの――。その言葉に、少女の脳裏に一人の人物の姿が浮かんだ。
「ねえさま……」
「お前の望み、叶えよう」
女の声が響く。
少女の目の前が白んだ。
◆
「ねえさまー」
「なあに、ポレット」
ポレットは広い屋敷の庭で、姉のアリアーヌと共に午後のお茶会を楽しんでいた。
「お茶が飲み終わっちゃったから、ねえさまと遊びたいなー」
空のティーカップを見せながら、ポレットは上目遣いでアリアーヌを見つめる。
「あらあら。お茶会は始まったばかりよ? もうすぐおかわりも来るのに」
「もうおなかいっぱいだよう。遊びたいよー」
ポレットの言葉に、アリアーヌは困ったように笑うだけだった。
それもその筈。アリアーヌの下半身はお茶会用に用意された椅子と融解している。
これではポレットの遊びに付き合うことはできない。
「お茶会のあたくしにわがままを言ってはダメよ、ポレット」
お茶とお菓子を載せたワゴンを押しながら、屋敷からアリアーヌがやって来た。
彼女はワゴンをテーブルの近くに止めると、お茶会のアリアーヌを困らせるポレットの頭を優しく撫でた。
その手はぺとりとした感触をしており、少し生肉のような匂いがした。
「いい匂いね。さすが料理のあたくし」
「ふふ、今日のスコーンは自信作よ」
「ねー、ねえさまー」
笑顔で会話をするアリアーヌ達に、ポレットは口を尖らせて不満を表した。
「あぁ、ごめんねポレット。遊べるあたくしは今、お屋敷の中にいるはずよ」
「行ってもいい?」
「ええ、もちろん。でも、お台所のお菓子やお料理をつまみ食いしてはダメよ?」
微笑みながら言うお茶会のアリアーヌの言葉に、ポレット少しだけ苛つきを覚えた。
「おなかが空いたら戻ってらっしゃい。貴女の分のお菓子は残しておくわ」
「……そうする」
「うふふ、いい子ね」
料理のアリアーヌが再びポレットの頭を撫でる。
「じゃあ、いってきまーす!」
ひとしきり撫でてもらったポレットは、椅子から立ち上がると屋敷に向かって走り出した。
◆
クッキーで出来たお屋敷の扉を開けると、ゼリーで出来た窓を掃除するアリアーヌと、チョコレートで床を磨くアリアーヌと出会う。
「あら、ポレット。お茶会はもういいの?」
「うん。お茶は飲み終わっちゃったんだもん」
「遊べるあたくしなら、地下にいるわ」
床磨きのアリアーヌは地下へと続く滑り台を指差した。
「新しい玩具を作っているみたい。楽しみね」
「うん! ありがと!」
意気揚々とポレットは地下へ降りていく。キャンディで出来た滑り台に乗って、地下へ地下へと進んでいく。
「ねえさまー!」
滑り台の先には、お菓子で玩具を作っている二人のアリアーヌがいた。
砂糖細工のお人形や甘いパンで出来たテニスラケットを、ポレットのために作っている最中であった。
「いらっしゃい、ポレット」
「えへへ、遊んで!」
「いいわよ。何をしましょうか?」
「えっとねー、ねえさまの髪を結びたい!」
「あら?」
「いつもはねえさまに結んでもらってるから、今日はわたしがねえさまの髪を結びたいの!」
「うふふ、いいわよ」
砂糖細工を作っていたアリアーヌが前に進み出る。
いつの間にか、ブレーツェルで出来た椅子がそこに用意されていた。
ポレットは上機嫌で椅子に座るアリアーヌの髪を手に取った。
すると……
「え……?」
ずるり、という感触と共に、アリアーヌの髪がポレットの手に絡みついた。
その髪は薄く切り取った何かの肉だった。
「ポレット?」
呆然とするポレットをアリアーヌが覗き込む。
目の前のアリアーヌの肉の匂いが強くなる。
「どうしたの? あらあら大変。髪が抜けちゃったわ」
パンを片手にやって来たアリアーヌは、何でもないようにポレットから肉を取り上げる。
「ダメじゃない、砂糖細工作りのあたくし。髪の手入れはちゃんとしなきゃ」
アリアーヌを叱るアリアーヌ。だが、その眼は薄い緑色のキャンディで出来ていた。
◆
――ねえさまはこんな肉の塊じゃない。
――ねえさまの髪は絹糸のように艶々としていた。
――ねえさまの眼はキャンディじゃない。
――じゃあ、この目の前のねえさま達は一体誰?
◆
ポレットの思考は疑問で埋め尽くされた。
目の前にいるアリアーヌ達は誰なのか。
そもそも、自分の姉はただ一人のはずだ。
でも、目の前のねえさま達はわたしに優しい。
どんなお願いも、どんな我侭だって聞いてくれる。
でも、でも、でも。
◆
「ちがう」
違和感が、拒絶の言葉となって零れ落ちた。
ポレットの手には、いつの間にか二丁の散弾銃が握られていた。
よく手に馴染んでいるような気もするし、初めて握ったような慣れない感覚もあった。
だがポレットは、これこそがこの嘘の世界を壊すために必要な武器であると、瞬時に理解した。
「いらない」
引き金を引く。その瞬間、肉の髪を持つアリアーヌが蜂の巣になり、穴という穴から緑色の液体を噴出して倒れこんだ。
「これもいらない」
キャンディの眼をしたアリアーヌの顔を散弾が穿つ。アリアーヌから溢れ出る肉がその場を満たした。
ポレットは地上へと歩く。騒ぎを聞きつけたアリアーヌ達が、何事かとポレットに近寄ってくる。
「どうしたの、ポレット? 何か気に入らないことでもあった?」
「まあポレット! そんなものを振り回して、一体どうしたの?」
◆
――どんなに優しくされても。
――どんなに甘やかされても。
――どんなに一緒にいても。
――どれだけ名前を呼ばれようとも。
◆
「これも、これも、これも、これもこれもあれもこれもそれも!!!」
ポレットの意志に呼応して、散弾銃がアリアーヌ達を粉砕していく。
「足りない……」
その呟きに応えるように、ポレットの手に大型のガトリングガンが現れる。
何の躊躇いもなくそれを手に取ると、ポレットはアリアーヌ達に向けて引き金を引いた。
発砲の反動をものともせず、ポレットはついさっきまで楽しく喋っていた筈のアリアーヌ達を毀棄していく。
あるアリアーヌは鮮やかな橙色の血を霧散させ、あるアリアーヌは抜けるような空色の挽肉となって四散する。まるで絵の具をぶちまけたような奇怪な光景だ。
それでも、アリアーヌ達だった肉はうぞうぞと蠢き、ポレットの周囲を這いずる。
「ぽ、れ……と……」
肉塊はそれでもアリアーヌのような顔を作り出し、ポレットに縋り付こうとする。
「きえちゃえ」
己でも意外だと思うほどに冷たい声で、ポレットはその肉塊を踏み潰した。
◆
ポレットは行く道々で現れる姉であり姉ではない何かを、片っ端から撃ち殺していった。
姉のような何かの断末魔が、お菓子と肉で出来た世界に響き渡る。
「あは、あはは」
これで本物のねえさまを探しに行ける。そう思うポレットの顔は笑顔に満ち溢れていた。
極彩色の血と肉の道を作り上げながら、ポレットは足取りも軽やかに進んでいった。
「―了―」