68ユハニ1

3392 【日記帳】

協定監視局内にある訓練室。そこでユハニは同僚のブレイズと剣の修練を行っていた。

協定審問官の任務は地上の協定違反者や汚染者を捜し出して『除去』することである。そのため、多少なりとも武術の心得が求められる。

そして、審問官は定期的な修練を行うことが義務付けられていた

一通りの打ち合いが終わったところで、ユハニの腕に取り付けているデバイスが震えた。

デバイスを見やると、ユハニにとっては見慣れた記号が明滅している。

記号を確認したユハニは、剣の構えを降ろした。

「ユハニ、まだ修練は終了していないぞ」

ユハニの行動をブレイズが咎める。

「ああ、すみませんね。上司からの呼び出しです」

「そんな筈はない。修練は最重要タスクの一つだ。その最中に上官から呼び出されるなど、あり得ん」

汚染者や協定違反者は審問官から逃れるためなら形振りなど構わない。審問官が修練を放棄するということは、命に関わるのと同義である。

「んなこと言っても、呼び出しは呼び出しっすよ。んじゃ、そういうことでー」

ブレイズの言葉を適当にあしらい、ユハニは訓練室の奥にいる監督官の所へと向かう。

「召集です」

「……わかった、行け」

ユハニがデバイスを監督官に見せると、監督官はデバイスに映る記号に納得したように頷いた。監督官の許可を得たユハニは、まだ修練を行っている同僚の審問官達の横を悠々とすり抜けていく。

そのユハニの態度に、同僚達はあきれたような視線を送っていた。

「大事な修練を放棄してまで、一体何をしに行くんだ?」

「どうせ、あり得ないくらい酷いミスをしたのだろう」

「所詮、下層の人間ということか」

ユハニに聞こえるよう、わざわざ大声であげつらう同僚達の非難を背に、ユハニはのんびりとした足取りで訓練室を立ち去った。

訓練室を出たユハニは、早足に協定監視局の裏口から外へ出た。そこには、ユハニを待ち構えるように一台の自動運転車が停車していた。

人目を避けるように自動車の助手席に乗り込むユハニ。ユハニが乗り込むと同時に、自動車は動き出した。

自動車のガラスは全面がスモークで覆われており、中に誰が乗り込んでいるかは容易には判別できないようになっている。

助手席には小型のデバイスが取り付けられていた。ユハニは少々たどたどしい手つきでデバイスを操作する。

すると、自動車のスピーカーから少女とも女性とも取れる音声が聞こえてきた。

『協定審問官ユハニ、お前に新たなコデックス捜索任務を命ずる』

音声は録音であり、一方的な通達であった。

『任務内容は、マイオッカ北部の孤島で発見された建造物の調査だ。この建造物はつい十日ほど前に、マイオッカに赴任している技師により発見された』

ユハニは流れる音声をぼんやりと聞いていた。

『資料が不足しているが、この孤島は三一〇〇年頃に発生した《渦》によって引き起こされた地殻変動の影響で生成されたと推測される。速やかに調査し、コデックスを発見せよ』

任務の内容を聞き終わる頃、自動車はフライトデッキに到着した。デッキには既に長期調査用のクリッパーが待機していた。

孤島の建造物は薄暮の時代に建てられた大きな屋敷であった。現在のパンデモニウムに通じる、機能的で洗練されたデザインをしている。

地上人による盗掘などの痕跡は無く、技師が発見するまで未踏の地であったことが窺えた。

屋敷は成長した植物に覆われており、上空から眺めでもしない限り発見されることはなかったであろう。

「さて、どっから手をつけるべきかねえ……」

ユハニは一人ぼやくと、屋敷内へと入っていった。

「協定審問官No-862235、ユハニ。マイオッカ北部孤島に存在する建造物の調査を開始する」

調査用デバイスの録画モードを起動し、ユハニは調査を開始した。

ユハニは協定審問官として協定監視局に所属しているが、任務地はこういった未調査地域が主となっている。それはユハニの身体能力が優れていたこともさることながら、地上での長期にわたる活動に必要なストレス耐性値が群を抜いていたことが理由であった。

そして、ユハニの任務内容については、協定監視局に勤める者でも上層のごく一部しか知らされていない。

何故なら、任務の中には『自動人形に関するコデックスの回収』という重要なものが含まれているからだった。

屋敷の内部は部屋数が多く、少し覗いただけでも、そのどれもが様々な用途に使用されていたことが判明した。

調査期間はそれなりの長期が設定されていたが、ユハニ一人で全てを調査できるかは不明であった。

「はー……、なんだこりゃ?」

音声が記録されていることも構わず、ユハニは思わず声を上げた。

屋敷の最上階にある大部屋には、大量の自動人形が並べられていた。

女性型、男性型、大人型、子供型。種類を問わない頭部が何十個と壁に飾られており、最奥のデスクには、四肢が無く、人工皮膚も剥がれた一体の自動人形が鎮座していた。

「ちょっと失礼しますよ、っと」

ユハニは四肢の無い自動人形に近付くと、頭部に刻印されている製造ナンバーを読み上げ、パンデモニウムに照会する。

程なくしてデバイスに『製造年:二八一〇年、制作者:セイリアス・グライバッハ、形式:女性型』といった一連の情報が表示された。

その情報にユハニは目を細める。グライバッハ製造の女性型自動人形。これが重要なキーであることは疑いの余地もない。

これは『当たり』かもしれない。そう考えたユハニは、この最上階の部屋を徹底的に調査することにした。

すぐに、四肢の無い自動人形より新しい年代に作られた自動人形の頭部を発見。これもグライバッハ作であった。

更にはデスクから古い書類や日記帳などが発見された。

書類等の文面を確認すると、この屋敷の持ち主は《渦》が出現した後に生を受けた人間であることがわかった。

ある時にマイオッカの遺跡で四肢の無い自動人形を発掘。以降、自動人形の魅力に取り憑かれ、同好の者と共に自動人形の売買を行っていたことが読み取れた。

自動人形の容姿を賛美する文言から推察するに、あの四肢の無い自動人形は、発掘された当初は相当に美しい造形をしていたらしい。

日記帳を読み進めていると、デバイスから定時報告の時間を告げるアラームが鳴り響いた。

「おっと、もうそんな時間か」

発見した遺物はひとまずそのままにした。パーツごとに分割されているとはいえ、全てを運ぶのは重労働だ。

回収するのか捨て置くのか。それは定時報告の際に指示を仰げばいいだろうと考えた。

クリッパーへ戻ってきたユハニは、乾いた喉を潤して一息つくと、通信機を操作した。

「あれ? えーっと……」

通信機のコンソールをタップして数値を入力するも、何度か操作を誤る。

ようやっと回線がパンデモニウムに繋がったときには、通信を試みてから一〇分ほどが過ぎていた。

『定時報告の時間は過ぎているぞ』

スピーカーから少女のような声が聞こえてきた。

「すみません。どうにも機械の扱いに慣れなくて」

『まあいい。報告の前に尋ねよう。例のコデックスは発見できたか?』

「いえ。目的物は発見できていません。ですが、興味深いものを発見しました」

『報告せよ』

「四肢の無い自動人形が一体、自動人形の頭部を五十個、胴体を五個発見しました。その内、四肢の無い自動人形と一個の頭部については、製造ナンバーによってグライバッハ氏の工房で製造されたことを確認しています」

『わかった。しかし頭部の数が尋常ではないな。理由は判明しそうか?』

「この建造物の所有者は機能停止した自動人形の売買を行っていたようです。発掘された人形に関する書類や、売買履歴が記述された日記帳も発見しました」

『そうか』

「コデックスを発見、もしくは調査が終了した後はどうしますか?」

『機能停止した自動人形を含め、全ての残骸と書類、日記帳を回収せよ。特にグライバッハの製造した自動人形については、欠片も残さずに回収を行え』

「承知しました」

返事をすると同時に通信が途絶える。

ユハニは完全に通信が切れたことを確認すると、一人呟いた。

「人使いの荒い最高指導者サマだこと……」

口ではそう不満がるものの、ユハニは自身の能力を把握し、適した任務を与えてくれたレッドグレイヴに対して感謝の念を持っている。

「ま、楽しいからいいんだけどさ」

自分に与えられる任務がどれだけ面白いか。ユハニにとっては、ただそれだけの話である。

「さて、もう一仕事しましょうかね」

ユハニはクリッパーから降りて大きく伸びをすると、命令を遂行すべく、再び屋敷へと足を向けるのだった。

「―了―」