3372 【名前】
その日も、ヴォランドはセレスシャルを伴って犯罪組織の撲滅に奮闘していた。
ローゼンブルグ第七階層レアンド地区。ここに未だ残る『プライムワン』の拠点を潰すためだった。
◆
拠点を潰すことに成功し、屋敷に戻ろうとしていた時だった。
背後からけたたましい爆発音が聞こえてきた。ヴォランドは爆発音がした方を振り返る。
「あっちは……」
そこは第七階層に程近い場所にある、第六階層エルモア地区の方向だった。
資産家や貴族が多い上階層では、彼らの命を狙った犯罪が後を絶たない。先程の爆発もその一つだろう。ヴォランドが犯罪組織撲滅に動き出してからは初めてのことであったが。
◆
「セレスシャル、行こう」
ヴォランドはセレスシャルを見上げた。
セレスシャルは犯罪組織やテロ集団を壊滅させる力はあるが、人命を救助する能力は持っていない。
だが、あの区画で活動する罪の無い人々が命を落とすのは避けたかった。
生きていれば、命があれば、それだけで誰かの心が救われることを、ヴォランドは身をもって知っているのだ。
セレスシャルはヴォランドに従い、噴煙の引かぬエルモア地区へと飛んでいく。
爆発のあった区画は居住区画ではなく、商業区画であった。
だが、さすが上層と言うべきか。すでに中央から救援部隊が派遣され、爆発のあった場所を中心に避難誘導や人命救護が行われていた。
となればと、ヴォランドは自分ができることを考える。
「テロリスト達を探しに行こう。もしかしたら、奴らが使う階層間の抜け道を見つけることができるかもしれない」
すぐに結論は出た。ヴォランドはセレスシャルと共に騒ぎに紛れ、この爆破テロを行った犯罪者を追跡することにした。
◆
ヴォランドは第六階層と第七階層を隔てる外縁を、上空から観察する。
この区画は第六階層でありながらも、犯罪組織が多く存在する第七階層に近いせいか、周辺の建物には人が住んでおらず、使われているような気配も無い。
ここは上流市民が暮らす上階層でありながらも、さながらスラム街のようであった。
◆
闇夜に紛れるように、人影のようなものが移動した。すぐさまヴォランドはその人影を追い掛ける。
「あ、あれ?」
だが、人影は外縁を離れるようにして、スラムと化した建物の立ち並ぶ路地へと入っていった。
てっきり外縁に階層間の抜け道があると思い込んでいたヴォランドは困惑する。
路地に入られてしまうと、土地勘の無いヴォランドには追跡できない。
力を望んだことが影響しているのか、セレスシャルは戦闘に特化した能力しか持っていない。そのため、完全に見失った状態では探知することも難しい。
◆
失敗した。これでは意味がない。
ヴォランドは眉間に皺を寄せ、考えを巡らせる。
足りない経験は行動し、思考を巡らせることでカバーしなければならない。
「もっと考えなきゃ……。焦るな……。何かきっと」
思考しながらも、ヴォランドはセレスシャルと共にスラムと化した建物群の上空を飛んでいた。
さっきの不審な人影をもう一度見つけなければと、探索を続ける。
そうする内に、森のように樹木が整備された公園が見えた。
かつては様々な人で賑わっていたであろう場所だが、今は雑草が生い茂り、遊具の手入れもされていない公園だった。
その片隅で少女が一人、蹲るようにして座り込んでいるのを見つけ出した。
着ているものやその様子から、ひょっとするとテロ集団の仲間かもしれないと思ったが、この少女が悪事に手を染めているとは考えたくなかった。
「ねえ、大丈夫?」
ヴォランドはその少女に声を掛けた。
「どこかで休んだ方がいい。僕なら君を――」
ヴォランドは少女に手を差し伸べた。
少女は差し伸べられた手をぼんやりと見つめていたが、すぐにハッとした表情になる。
「触らないで!」
少女は反射的にヴォランドの手を払いのけると、そのまま走り去ってしまった。
ヴォランドはその日の行動予定を中止して少女の姿を探したが、ついに見つけることはできなかった。
◆
それから、ヴォランドは犯罪組織への攻撃を続ける傍ら、公園で出会った少女の姿を探していた。
真夜中にテロが起きれば、その場所へと赴いた。
幾度もテロリスト集団を恐怖に陥れ、脱出ルートもいくつか潰した。が、それでもテロが収まるようなことはなかった。
テロ集団の拠点を潰し、根本的に撲滅しなければならない。でなければ、あの少女も救えない。ヴォランドはそう考えていた。
◆
再び少女と出会ったのは、最初の出会いから数ヶ月が過ぎた頃であった。
この時も、第六階層の貴族を狙ったテロが起きた時だった。
ヴォランドは確信した。この少女は、第六か第七階層に拠点を持つテロ組織の尖兵として働かされているのだと。
「また会ったね」
「そう、ね……」
少女はぼんやりとした様子であった。その様子は、ヴォランドの目にはおかしいものに映る。
テロの片棒を担がされているにしては、少女の表情や感情の動きが緩慢すぎたからだ。
「君の名前は?」
「……イヴリン」
少女は素直に名前を名乗った。
「素敵な名前だね!」
「あ、あなたの名前、は?」
まさかの返答だった。ヴォランドは嬉しくなってすぐに答えてしまう。
「ボクはヴォランド。 ねえ、イヴリンはどこに住んでるの?」
更に突っ込んだ質問をする。これでテロ組織の拠点がわかれば、テロ組織を壊滅させ、イヴリンをこんな残酷な仕事から救い出すことができる。
そう考えた上での質問だった。
「ごめんなさい、もう行かなきゃ」
だが、イヴリンは急に立ち上がると、走り去っていく。
「あ、待って!」
ヴォランドはイヴリンを追い掛けた。だが、イヴリンはぼんやりとした様子とは裏腹に足が速い。セレスシャルを呼び出して追い掛けるが、どうしても彼女には追いつけず、結局見失ってしまった。
それでも収穫はあった。彼女の名前がわかったのだ。名前は彼女を助ける糸口になる可能性がある。
◆
ヴォランドはイヴリンという名前を胸に、音も立てずに屋敷へと帰ってきた。
「帰ったか」
部屋ではオウランがオレンジを皮ごと貪っていた。
「オウラン、ただいま。セレスシャルもお疲れ様」
手の一振りでセレスシャルを待機状態にし、虚空へと消す。
「オウラン、大至急で調べてほしいことがあるんだ」
ヴォランドの目はいつになく真剣だ。
「ほう?」
「イヴリンという名前の、ボクと同じかそれより少し前か後に生まれた女の子について調べてほしい」
不思議な少女との邂逅の後、オウランはローゼンブルグに残る電子ネットワークに侵入し、ヴォランドに犯罪組織の情報を提供するようになっていた。
どうやっているかはヴォランドにもわからなかった。それに、オウランも仕組みを教えてくれることはなかった。
「例の子供か。だが、そいつはテロ組織の人間なんだろう? 記録が残っているとは思えん」
「だから、ボクが生まれた前後の子供を調べるんだ。もしかしたら犯罪組織絡みの事件に巻き込まれて、ああなったのかもしれないし」
「ふうむ。そこまで言うなら調べてやるか」
オウランはのそりと立ち上がる。
「本当!?」
「ああ」
「ありがとう!」
ヴォランドは感極まり、オウランに勢いよく抱きついた。
◆
ローゼンブルグ第七階層十三区。ここは森林保護と銘打って、地区の殆どが木々で埋め尽くされている。
その森の一角にある大きな木の枝に、ヴォランドはセレスシャルと共に降り立った。
ヴォランドの視線の先には、森林の風景には似つかわしくない程に白い建物が鎮座している。
そこは、表向きは遠方にある国の宗教団体が擁する施設だ。だが、実体は悪質なテロ集団がその尖兵を教育するための場所である。
ヴォランドはオウランの協力の下、何度もイヴリンと接触して会話を重ね、ついにこの場所に辿り着いたのだ。
「待っててね、イヴリン。絶対に助け出してみせるから」
「―了―」