2837 【叫び】
「逃げろ!」
「警備隊はどこなんだ!?」
「おかあさあああああん!!」
「早く!」
老若男女の叫び声が周囲を支配していた。
ノエラはその只中を、人々と同じように逃げていた。
◆
その日、ノエラは大型ショッピングモールのカフェテラスにいた。
店外に設置された椅子に腰掛け、珈琲を嗜みながら行き交う人々を眺める。
仲睦まじく歩く夫婦、子供連れの母親や父親、若いカップル。疲れた人、楽しそうな人、忙しそうな人。
そういった様々な感情が渦巻く、何処にでもあるショッピングモールの風景だ。
◆
人々を眺めるのに飽きたノエラは、ポータブルデバイスを起動してニュースを読む。
記事に書かれていたのは、とある地方の流行店に従事していたオートマタが一晩の内に消えてしまったという、二年ほど前の事件に関するものだった。
――この事件に、昨今世の中を騒がせているオートマタ暴動との関連が疑われるが、事件の当事者であるオーナーは現在入院しており詳細な手掛かりは掴めていない。この事件以外にも複数のオートマタ失踪事件が確認されており、それらと共に鋭意調査中である――。
との報道であった。
「暴動との関係、ねぇ……」
ノエラの呟きは、モールの喧騒に掻き消された。
◆
記事を読み終わったノエラの目の前を、主人とオートマタという、ごくありふれた組み合わせが通り過ぎた。
オートマタは荷物を抱えて、主人の後を追うように歩いていた。
その様子をなんとなく目で追う。10アルレほど進んだところで、そのオートマタの動きが突然に止まった。
主人はすぐに様子に気付いたのか、何か声をオートマタに掛けていた。
次の瞬間、オートマタがいきなり主人に殴り掛かったのが見えた。
主人の悲鳴と、モールに常駐する警備員を呼ぶ声が聞こえる。
「またか」
「怖いわねえ。早く行きましょ」
不安の声があちこちから聞こえてきた。
危険を感じた人々は、足早にショッピングモールから去っていく。
◆
数年前、一体の古いオートマタが暴走した。その時は単なる老朽化による不具合だと思われた。
そうやって古いものから始まった『それ』は、次第に新しいものへと波及していった。
統治局とて傍観していたわけではない。人間の生活に必須なオートマタの暴走である。対策や原因究明は極めて迅速かつ的確に行われている。
だが統治局の対応以上に、暴走するオートマタの数が増えるのが早かった。
依然として原因のわからない『それ』は、人々の不安を掻き立てていた。
事例は日に日に増えていき、ついにローゼンブルグ第十二階層スバース地区で、オートマタによる暴動が発生した。
人々は、ようやくここで異常に気が付いた。
だが、オートマタは人々の生活に根ざし過ぎていた。大慌てでオートマタを廃棄しようとしても、自分達がオートマタに代わる労働力になど、なれる筈もなかった。
◆
ショッピングモールの現場は瞬く間に野次馬で埋め尽くされた。危機意識の足りない者は何処にでもいる。
「お客様、こちらにお入りください」
様子を眺めていたノエラに店員が声を掛けてきた。
一見、人と変わりないように見えるが、手首の関節が、この店員がオートマタであることを示していた。
「あぁ、そうね。中に入ればいいかしら?」
「はい。申し訳ありません」
ノエラの視界を警備員が物々しい様子で走り過ぎた。暴動鎮圧用の重厚な装備を施したオートマタの姿も見える。
「大丈夫かしら……」
あまりの物々しさに、ノエラは再び呟いた。
◆
静かに、だが統治局でも制御しきれない速さで、『それ』は侵攻しつつあった。
そして、『それ』は瞬く間に大きな牙を剥き出しにした。
◆
暴走の現場で鈍い音が響くと、野次馬の中から悲鳴が上がった。
ノエラは店内に入るのをやめて、現場の様子を窺った。
「おい、お前! 一体どうした!?」
「危険です! 逃げてください!」
人間の警備員だろう。何人かが叫ぶ。
野次馬と警備員の声に危険を感じた人々が、モールの出口に向かって走り出す。
野次馬がいなくなると、ノエラの目に衝撃的な光景が飛び込んできた。
暴動を鎮圧するためのオートマタと近くの店で働くオートマタが、暴走したオートマタを庇うように人間を攻撃しているのだ。
「……どういうことなの?」
ノエラは一歩、二歩と後退る。そして、背後の店員にぶつかった。
「おきゃ、おきゃく、さ、さささ」
店員のオートマタも明らかにおかしかった。
「ひ……!」
辺りを見回すと、別の店員のオートマタや付き添いのオートマタも、皆おかしな行動を見せている。
店内がざわつく。他の客もオートマタの様子がおかしいことに気が付いた。
ノエラは店の入り口から反射的に飛び出す。
◆
モールのあちこちから破壊音と人の悲鳴が聞こえてきた。更に逃げ出してきた人で通路が溢れ、先程よりも酷い様相を呈していた。
「何で、どうして……」
ノエラは困惑しながら、逃げ惑う人々と共に、暴走するオートマタから逃れようと走り出した。
◆
なんとかショッピングモールの外へと脱出するも、外で待っていたのは、やはり暴徒化したオートマタだった。
もう逃げ場はないと思われたが、オートマタを破壊する音が周囲から聞こえてくる。
「助けが来たぞ!」
誰かが叫んだ。
隊列を組んだ暴動鎮圧部隊が、暴走するオートマタ達を次々と破壊していく。
その様子を極力見ないようにして、ノエラは避難指示を出す隊員に従った。
◆
避難場所には、オートマタは一体もいなかった。
人々は安堵し、暴動が終わるのを待っていた。デバイスで最新の情報を拾う者、家族に連絡を取る者。
そんな中、ノエラは何をするでもなく、周囲の人々の様子を眺めていた。
「災難だったねぇ」
人々の様子を眺めていると、老齢の女性に声を掛けられた。
「ええ……物騒なことです」
「統治局からの発表は無いし、政府も何をしてるんだか」
「原因不明と聞いていますし、すぐの解決は難しいのではないでしょうか?」
「どうだかね。そろそろレッドグレイヴじゃ駄目な時代が来てると、あたしゃ思うよ」
老婆は言うだけ言うと、知り合いの姿を確認したのか、そちらへと行ってしまった。
政府は無能ではない。だが、終わりのない暴動に民衆の不満は募るばかりだ。
ノエラは溜息を吐くと立ち上がった。自分はここにいるべきではないと思ったからだ。
喧騒に紛れるようにして、ノエラは避難所からこっそりと出て行く。デバイスを見ると、一件の電子メールが届いていた。
『話がしたいの。応えてくださいな』
「……どういうことかしら?」
ノエラはメールの送り主を見て、デバイスをじっと見つめ続けた。
「―了―」