3385 【記録】
小型デバイスが軽快な音と共にメールの受信を知らせた。
男は受信したメールを開く。
送信者の欄には、既知のアドレスが表示されている。
そのことには特段気に掛けず、男はメールの内容を閲覧する。
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■■受信:三三八五年 雨月十日 03:01
ケイオシウム次元干渉実験中に、干渉した次元から超小型生命体の捕獲に成功。
この超小型生命体は空気中で生命活動を行うことができないため、仮死状態での採取が適切であった。
後日の観測により、この超小型生命体は他の生命体の血液、またはそれに準ずる液体の中でのみ生命活動が可能である。
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超小型生命体の詳細な観測を行うために、動物実験を開始。
初期段階で、この超小型生命体が寄生生命体であることが判明。併せて、寄生した生物の免疫力を爆発的に高めることも明らかになった。
宿主の衰弱による寄生不可能状態を回避するためであろうと推察される。
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人体への影響を調査するために、寄生生命体を自身に投与。
12時間が経過した現在、体調不良等の兆候を確認することはできず。
引き続き経過を観察する。
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本メールには動物実験の計測データを添付する。
使用した動物に関しては、No.884に記載した鳥類に類似した地下生息型生命体のデータを参照されたし。
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このような文章と共に、動物実験の計測データなどが送られてきた。
男はそのデータをデバイスから抽出すると、強固なセキュリティが施されたメインフレームへと送信した。
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■■受信:三三八五年 雨月十六日 17:22
寄生生物を体内に投与してから48時間が経過。心身共に不調も無く、いたって健康である。
計測器から得られたデータによると、寄生生命体は人体から排出されないよう、寄生後24時間以内に好中球などの免疫担当細胞へ擬態したことを確認。
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追加実験として、297日前に発見した肝機能障害を引き起こす細菌を自らに投与。
細菌の詳細については、No.762の資料を参照のこと。
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本メールには、寄生生命体の人体内における活動記録を添付する。
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いつ、どのようなタイミングで送られてくるかわからないメール。送り主が何故メールを送り続けているのか。その理由もわからない。
そのメールを保管することを、男は誰かに依頼されたわけではない。
そもそもこのデバイスは「好きに使ってもらって構わない」という言葉と共に、メールの送り主から渡されたものだ。
だから、男はこのメールを好きに使うことにした。メールの内容は男が目指す理想に必要なものであった。
だから男はメールを保管する。自身のために。未来のために。
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■■受信:三三八五年 雨月二十一日 09:36
肝機能障害を引き起こす細菌を投与してから24時間が経過。肝機能に異常は見られず。
細菌の検出を試みたが、検出されず。
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計測器のデータによると、細菌投与から12時間後、寄生生命体が免疫機能に類似した働きを示し、当該細菌を全て駆逐した模様。
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本メールには、細菌と寄生生命体の動向を観測したデータを添付する。
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このようなメールが届き始めたのは、今から一年ほど前だ。
最初は何者かが誤送信したものか、もしくはデバイスの故障だろうと思った。
だが、送られてくるメールの論調、そして添付される資料に時折映る人体データや生体情報は、今はもういないデバイスの所有者のものに酷似していた。
男は、このデバイスの所有者が何らかの方法で、研究メモや手記のようなものを送信しているのだと確信した。
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■■受信:三三八五年 風月九日 22:47
動物実験の追加検証による、寄生生命体の危険性について。
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人体実験と平行して動物実験も行っていたが、実験に使用していた動物が死亡。
原因は、寄生生命体の過剰な増殖によるものであると判明。
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寄生生命体の過剰増殖は、細菌や病原体などの投与による免疫機能の活性化が誘因を成していた。
さらなる動物実験の結果、宿主の免疫機能が短期間で活発化される事態に陥ると、寄生生命体の防衛本能が過剰に働くことが確認された。
この防衛本能による行動では、寄生生命体は宿主が生命活動を行うのに必要な細胞に対しても攻撃を行う。しかもその攻撃は宿主の生命維持が不可能なレベルになっても収まることはなく、結果、宿主は衰弱して死亡する。
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計測結果によると、寄生生命体の防衛本能が暴走するのは、一ヶ月間に十から十五程度の疾病に罹患した場合である。
そして暴走により宿主が死亡するまでの時間は、個体の大きさで増減するが、およそ72時間。
宿主の死亡後、寄生生命体は暴走を停止。休眠状態へ移行することを確認。
故意に細菌もしくは病原体による疾病を誘発させることは、非常に危険である。
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本メールには、過剰増殖が一定値を越えた後に起きた現象の観測データを添付する。
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男はメールを見る度に、送り主の最後の姿を思い出す。
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「君達には悪いが、私は行くことにした」
大掛かりな機械が、静かに駆動音を立てていた。
『ゆりかご』と呼ばれるそれは、同志達のケイオシウム研究の全てが詰め込まれた装置だ。
その装置の中に、顔色の優れない女エンジニアが大きなバックパックを背負って入っていた。
「ゆりかごを使用して帰ってきた者は、彼女以外に存在しない。考え直せないのか?」
ケイオシウムを『制御できる暴走状態』へ移行させるこの装置は、未だ完成には至っていない。
特に生体実験は研究途上であり、生命体が中に入った状態で『ゆりかご』を動作させると、七割が物理法則を超越した死体となった。
残り三割の生命体は、いずこかへと消え去った。推論では異世界へ行くと言われているが、それを証明できるのはたった一人、マルグリッドというテクノクラートの存在だけだった。
彼女以外が装置を使えばどうなるのか。本当に異世界に行くのか、それとも次元の狭間に飲み込まれてしまうのか。
それを証明できる者は、マルグリッド以外には存在しないのだ。
「どうせこのままでは、数年のうちに消え去る命だ。今ここで死んだところで何の問題もあるまい?」
「……そう、か」
女は自身に残された時間が少ないことを知っていた。
そのことについて男は深く聞かなかった。踏み込んではならない領域であると理解していた。
「勘違いはするなよ、ラーム。私はな――」
女はニィと唇をつり上げ、心底楽しそうな顔を作った。
「私はカウンシルを欺いて旅立てることが嬉しくて、そして楽しくて仕方がないんだよネ」
『ゆりかご』の扉が閉じた。暫くして扉を開けると、女は消え去っていた。
これが、男が聞いたその者の最後の肉声であった。
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男……ラームは一人で異世界へ旅立った同志のことを思い出しながら、送られ続けてくるメールをメインフレームへ送り続ける。
送信者の名前は『ジェミー・ドーリー』。
ラーム達の同志であり、今もどこかで己の知的欲求を満たしているエンジニアの名前であった。
「―了―」