—- 【抵抗】
それは、三三九八年の終わりから続く、破滅への一本道だった。
商業都市プロヴィデンスを覆った死の瘴気は、各国の血の滲むような対策も虚しく、世界を包み込んでいったのである。
◆
銃声が響く。
異形の集団と、白いフレームが剥き出しになった戦闘人形が激しい戦闘を繰り広げていた。
異形でも戦闘人形でもない町の人々は、突如として始まった戦闘に逃げ惑うしかなかった。
「こっちです! 早く!」
そんな中、ぼろぼろの戦闘服とライフルを装備した一団が、逃げ惑う人々を誘導していた。
彼らの年齢構成は年端も行かない少女から老人までと、非常に広範であった。
「さあ、もう大丈夫です。これに乗って安全な街まで行きましょう」
「あ、あ……あぁ……」
呆然とする人々を、待機させていた機械馬の馬車に次々と乗せていく。
異形と戦闘人形はこちらの様子には関心が無いらしく、追ってくる気配は無い。
救出した人々と戦闘服の団体を乗せた馬車は、南方に向けて出発した。
◆
グランデレニアとルビオナとの戦争は、死者の軍勢によっていずれをも勝者にすることなく終わりを告げ、二つの国家は死の世界に飲み込まれて滅亡した。
しかし、この大事変でさえも、新たな戦争の幕開けでしかなかった。
先の戦争で沈黙を保っていた宗教国家ミリガディアが、常軌を逸した力を持つ超人と呼ばれる存在を各国に送り込み、混乱する世界を統一しようと動き始めたのだ。
しかし、ミリガディアの目的はあくまでも超人が支配する世界を構築することである。ミリガディアの掲げる世界の実現に賛同し、超人化の儀式を受け入れなければ、救いの道は存在しない。
その状相に制止を求めたのが、空中に一大都市を築く導都パンデモニウムであった。
パンデモニウムは自分達こそが世界を管理、平定する者であると主張し、ミリガディアを排斥するために世界各地に戦闘人形を送り込んだ。
当然ながら、ミリガディアの超人達はこれに反抗する。
こうして、パンデモニウムとミリガディアとの、泥沼の戦争が始まったのだった。
◆
「なあ、俺達は一体どこに連れて行かれるんだ?」
馬車の中で怪我の応急処置を受けていた男性が、治療を担当している少女に尋ねた。
「私達レジスタンスが拠点としている街です」
少女、メリーは笑顔で答えた。
「あの、噂に聞く要塞都市か?」
「はい。そこであれば、しばらくは安全に暮せます」
地上に残された人々にとって、ミリガディアもパンデモニウムも、どちらも等しく敵であった。
超人組織と化したミリガディアは言わずもがな、パンデモニウムも世界の管理平定を謳っておきながら、死者の軍勢に襲われて逃げ惑う人々を無視し、救助の手を差し伸べることはなかった。
残された人々は災厄を逃れるために南へ南へと向かい、そこで、かつて《渦》に対抗する連隊が使っていたという施設を発見し、拠点として街を築いた。
更に、パンデモニウムに見捨てられた地上派遣のエンジニア達と協同することで、施設を修理し、武装を整え、障壁を死者の軍勢に対して効力が発揮するよう改良するなど、単なる街ではなく要塞都市としての完成を見たのである。
『地上でただ一つの、人間が安全に暮せる街』の噂は口々に伝搬されていき、流入する人々の数はどんどんと増えていった。
そうして集まった人間達は、世界を自分達が安全に暮せるようにしたいと求めるようになり、自らを『レジスタンス』と呼称するようになった。
彼らはミリガディアとパンデモニウムの戦争を終わらせようと各地で奮闘しながら、人間の保護を同時に行っていた。
◆
超人と異形、戦闘人形、死者の軍勢、それらが闊歩して人間を脅かしているのが今の現実だ。だが、この要塞都市は別世界であるかのように平穏で、その上で活気に溢れている。
死者の軍勢を寄せ付けない障壁の存在と、街の人々が精一杯の産業を行って生活を支えているお陰であった。
◆
要塞都市に戻ったメリーは救出した人々と一緒に検疫を受け、そのままレジスタンスが本部としている建物で雑務をこなしていた。
「メリー、調査部から連絡だ。例の『お兄さん』らしい人が見つかったってよ」
メリーの所へやって来た壮年の団員がそう告げたとたん、メリーの表情は緊張で強張った。
「ほ、本当、ですか!?」
メリーには、戦争の混乱で離れ離れになってしまった、大事な『お兄さん』がいた。
その人物は戦火に包まれるミリガディアで、メリーのいた養護院の子供達を守るために異形に立ち向かい、行方不明となった。
メリーはレジスタンスに保護された後、その『お兄さん』を探し出すために救出チームに入り、各地を飛び回っていたのだ。
「ああ。ミリガディアの研究所に囚われてる人のリストに、お前さんの言う『お兄さん』の特徴に当てはまる人物がいるって話だ」
「研究所……」
その人物が『お兄さん』であるという保証はどこにもない。
「あの研究所は人間を使って何かの実験をしようとしてるって話だから、急いで救出チームを向かわせる予定だ」
「私も一緒に行きます!」
団員の言葉に、メリーはすぐさま救出チームに加わる意思を見せた。
「よし、わかった。出発は明朝だから、今日はもう帰宅して構わない。急いで準備してくれ」
「はい!」
◆
調査チームの情報を元に辿り着いたのは、要塞都市の北東にある、かつてグランデレニア、インペローダ、ミリガディアの国境が交わる場所であった。
以前は三国の交易を担う都市が築かれていたが、ミリガディアに支配されてからはその機能を失っており、今では都市全体が研究施設として使われていた。
そして、ミリガディアの重要施設であると認識したパンデモニウムは絶え間なく戦闘人形をこの都市へ送り込み、間断なき戦闘を繰り広げていた。
◆
メリー達レジスタンスは戦闘人形と異形との戦闘が激しくなる頃合を見計らい、研究施設に突入した。
幾度かは異形との交戦があったが、外の戦闘に戦力を割いている影響だろうか、さほど労することなく、人々が囚われている場所に辿り着いた。
その中に『お兄さん』の姿は見えず、メリーは落胆しながらも救出活動を続ける。
「ま……待ってくれ、別の部屋に、もう一人残されてるんだ」
最後の一人が弱弱しい声で、囚われている人物がもう一人いると告げた。
「わかりました、ありがとうございます!」
最後の一人を救出すべく、メリーは二人の団員と共に該当する部屋を探し出す。
◆
その部屋は人々が囚われていた部屋の、更に奥にある部屋だった。
手術台の上に一人の男性が拘束されていた。
「お兄さん!」
その人物こそ、メリーがずっと探し続けていた『お兄さん』こと、ヴィルヘルムであった。
やはり、ヴィルヘルムはこの施設に囚われていたのだ。
やっと出会えた感動をぐっと押さえ、メリーは手術台に近付く。
そして、ヴィルヘルムの拘束を解こうとしたその時だった。
「あ! がっ……」
腹部が鈍く重い衝撃に襲われた。メリーの視界には、血に塗れた太い棘のような何かが自分を貫いているのが見えた。
何が起きたのかはわからなかったが、異形か超人の攻撃を受け、自分がここで死ぬのだということは理解できた。
一緒に行動していた二人の団員達も、尋常ならざる叫び声を上げた。彼らもメリーと同じように体を貫かれたのだろう。
◆
ヴィルヘルムが目を見開くのが見えた。だが、彼の拘束は頑強で、腕の一本を動かすことすら叶わないようだった。
声さえ出せぬように拘束されている彼からは、唸り声のようなものしか聞こえない。
――ごめんなさい。――
声にならない声が喉を過ぎていく。
メリーの胸中を後悔が塗り潰していく。
ずっと探していた人が目の前にいるのに、助けられなかった。
――ごめんなさい。――
もう一度声を出そうとしたが、それは血の塊となってヴィルヘルムに降り注ぐだけだった。
◆
メリーは、空虚な世界の中で静かに涙を流していた。
たくさんの世界を覗き、その世界に降り立つことはできても、その世界に干渉することはできない。
そのことに気付いてからも、メリーは多様な世界を見続けた。
必ず何処かに『メリー』が叶えられなかった幸せな世界が存在すると信じていた。その世界を発見し、『メリー』のために観測することこそが、自身の使命であると確信していた。
「さあ、次の世界を観測しましょう」
結晶が煌めき、再び様々な世界を映し出す。結晶のそれぞれの面に異なる世界が映る。
それらの中から、『メリー』が生きる世界を見つけようとした次の瞬間だった。
多面体の一角、つまり一つの世界が白く目映い光に包まれた。そして、白い光に包まれた面は二度と世界の姿を映すことなく、結晶から消えていった。
「またですの……?」
この場所は時間の流れが曖昧ではあるが、メリーの感覚で言うところの最近、こうやって白い光に包まれて消失する世界がいくつか現れ始めていた。
そうなってしまった世界は、過去の観測をすることさえもできなくなってしまう。
様々な要因、選択によって枝分かれした世界を消滅させるこの光を、メリーは酷く嫌悪していた。
『メリー』の幸せを探す自身にとって、この消失現象は見過ごせない。
今まで観測してきた世界は、確かに幸せな結末を迎えたとは言い難い。それでも、誰かにとっての幸せや決意、覚悟があったのだ。それを否定し、奪うことなどあっていい筈がない。
「多元世界を否定したい何かが存在するようですわね」
煌めく結晶を前に、メリーは静かに怒気を発するのだった。
「―了―」