2839 【計画】
二八一四年。マリネラが自身に課せられた治世という舞台へ上がったのは、一五歳の時だった。
一般的にはまだ就業準備段階の年齢であるが、マリネラはそうではなかった。
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「B-4地区に発生させた武装集団による暴動ですが、国家保安局第八機動部隊によって予定通りに鎮圧されました」
執務室に入ってきたレッドグレイヴに、国家保安局から上がってきた一報の報告を行う。
「わかった。では、B-4地区の発展係数について事前のシミュレーション結果と照合し、検証結果を報告せよ」
レッドグレイヴはモニターに映し出されている鎮圧報告に目を通しながら、次の指示を出す。
「承知しました」
マリネラは一礼して執務室を退室した。
レッドグレイヴの命令を関係各局に通達し、上がって来た報告に手早く対応する。そして日々変動する市民の欲求を数値化して正確に把握し、人類を繁栄と進歩へ導くための補佐を行う。それがマリネラの職務であった。
マリネラはレッドグレイヴの側近として、今後三十年、四十年と彼女を補佐し、人類の繁栄の礎となる。
その筈だった。
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二八三七年。この年に発生したオートマタの一斉蜂起による動乱は、世界が一変する端緒であった。
動乱を収束させるために、ケイオシウム研究の第一人者であるメルキオールによって新兵器が開発された。そしてその兵器は、動乱を完全に収束するのに成功した。
だが、この兵器は急造のために不完全であった。不完全な兵器を動乱の収束まで酷使し続けた結果、動力としていたケイオシウムコアの暴走を引き起こしてしまったのだ。
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――世界の境界は歪んだ。そしてその歪みは、《渦》となって地上に出現した。――
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《渦》は自然災害と比べようもない程の脅威となり、人類に多大な厄災をもたらした。
テクノクラートの頭脳を総動員して、どうにか《渦》の進行を妨げる『障壁』の技術は完成を見ることができた。しかしこの技術を具現化する装置はあまりにも複雑化してしまい、量産速度の向上は困難を極めた。
工業都市インペローダに建造した施設で昼夜を問わない生産を行っているものの、未だローゼンブルグなどの主要都市に配備するだけの数を揃えるのが精一杯だった。
そしてついには、約七十年に渡って人間世界を統治し続けたレッドグレイヴも、《渦》から世界を救うために、長い旅路へ出立せざるを得ない事態に至ってしまった。
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「マリネラ様、選分課からパンデモニウムに移住する市民の第一次リストが到着しています」
「モニターに開示してくれ」
世界各地から選定された市民のリストが映し出される。
マリネラはレッドグレイヴの後継として、世界を統治する指導者の一人となっていた。
指導者には三人が据えられた。これは、レッドグレイヴの代わりを務め、且つあらゆる事態に備えるためには、到底一人では足るべくもないためであった。
三人の指導者は職務の殆どを《渦》の災害から人類を守ることに充てていた。だがそれでも、いつどこに出現するのか予測不可能な《渦》に対応するには限界があった。
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レッドグレイヴは出立の直前、《渦》の災害から人類を守るための最終手段として、空中都市建設計画であった『パンデモニウム計画』の転用を策定していた。
それは、空に浮かぶ巨大な空中都市パンデモニウムを、人々と技術や研究を残すための守護都市として運用するというものであった。
だが、パンデモニウムがいくら巨大であるといっても、全人類を収容することなど到底不可能だ。統治局は『選分課』と呼ばれる新たな組織を設置し、様々な審査の上で移住者を選定するしかなかった。
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滝のように流れるリストを一通り見終わったマリネラは、一つの疑問を秘書官へ投げ掛けた。
「……ギュスターヴ技師とグラント技師の名が無いな。どうなっている?」
「ギュスターヴ技師とグラント技師の両名は、地上でのみ達成可能な研究があると申し出た上で、パンデモニウムへの移住を拒否しました」
この二人はレッドグレイヴと同時期に生まれた、最上位のテクノクラートだ。人類の発展に尽くす使命と能力は、選定を待つまでもなく移住が確定する類のものだ。
「わかった。では、この者達と同様の研究を行うテクノクラートの選定を急げ」
「候補のリストはすでに用意してあります。ご覧になりますか?」
「見せてくれ」
僅かではあるが、統治局による栄誉ある選定を拒む者が存在した。
彼らの優秀な頭脳と遺伝子を地上に残すことは極めて重大な損失であるが、彼らを説得するような時間は、すでに残っていなかった。
「第一次移住者の移住作業を明朝十時から開始する。各所に通達を出せ」
「承知しました」
「それと、研究技術資料の移送状況を報告せよ」
「モニターに移送状況を表示します」
秘書官の言葉と同時に、モニターの表示が色分けされた地図に切り替えられた。
「D-4地区とJ-2地区の進捗が芳しくないな。どうなっている?」
「調査します」
「時間がない。次のミーティングが終了するまでに調査を終わらせておくように」
「承知しました」
モニターから地図が消えると、別の秘書官から通信が入る。
「マリネラ様、アザト計画に関するミーティングのお時間です」
「映せ」
アザト計画に携わるエンジニアが数人、スクリーンに映し出される。
定型の挨拶を済ませると、計画の進捗報告へと移った。
「クローン製造施設の建設ですが、進捗は予定通りです」
スクリーンの映像が切り替わり、建設中のクローン製造施設の様子を写した動画が流れてくる。動画の中では特殊な作業機械が地下を掘り進め、頑丈なシェルターの中に施設を建設していた。
「この施設を管理するAIにつきましても、間もなくテストが可能な段階に入ります」
「テストには私も同席する。問題はないな?」
「はい、問題ありません。テストの日程は追ってお知らせいたします」
「わかった」
動画の再生が終わり、再びエンジニア数人の顔が映った。
「しかし、本当によろしいのですか?」
「何を今さら。全ては我々の統治を地上に残すためだ」
マリネラはエンジニアを睨むように見据えた。
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その日の業務を終えたマリネラは、とある病院を訪れていた。
「ようこそ、マリネラ様」
病院の院長が丁重にマリネラを迎え入れた。
「あの子の様子は?」
「全て順調です。よろしければ直接ご確認なさいますか?」
「そうしよう」
院長に先導され、新生児室へと足を運ぶ。
最新の設備が所狭しと置かれているこの新生児室には、たった一人の赤子が静かに眠っていた。
その面差しは、どこかマリネラに似ている。
「では、私は席を外します。お帰りの際はナースステーションにお立ち寄りください」
「ああ、わかった」
院長は新生児室を出て行き、マリネラと赤子だけが残された。
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眠っている様子は何処にでもいる普通の赤子と何も変わらない。だが、この子は普通の赤子ではない。この子は、社会統治の才覚を最大限に行使できるよう遺伝子調整が施された、アザト計画の要となる存在なのだ。
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アザト計画とは、現在の世界を統治する三人の指導者によって発案された計画だ。
マリネラ達はレッドグレイヴの命によって治世の場を空中都市パンデモニウムへと移す。しかしそれは、地上に残された人々と文明を見捨てるということと同義であった。
それでも、可能な限り地上に残された人々に秩序と統治を与えよう。それがアザト計画の根幹であった。
《渦》から人々を守るために障壁という装置を置いた。これによって、地上に残された人々には生き延びる可能性が与えられた。
あとは、パンデモニウムが地上を去った後に、生き延びた人々を率いて治める能力を持った人材が必要となる。様々な議論や調査の末に導き出された答えとして、その人材にはマリネラの遺伝子を基礎としたデザイナーベビーを充てることになった。
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小さなベッドで眠る赤子の頭を、マリネラは軽く撫でた。
自身の遺伝子を継いでいるせいだろうか。この子を待ち受ける未来を想像すると、幾許か感傷的な気分に陥った。
不測の事態にも対応できるよう、あらゆる遺伝子調整が施されたこの子は、どのように成長していくのだろうか。
「マルセウス、貴方が地上を救うのよ……」
マリネラはベッドの中にいる赤子に、祈るように語り掛けるのだった。
「―了―」