2836 【謝罪】
真夜中、サーカスへ向かうオートマタ達の列を最後尾から眺めていた時のことでした。
「ブラウ」
ご主人様のお世話をしている筈のメレンが、突然目の前に現れたのです。
「珍しいですね。貴方がこのような所にやって来るなんて」
「どうしても君と話したいことがあって」
「何でしょう?」
「ミア様はお変わりになられた。この状況では、このオートマタ達を連れ帰ったとしても、一部の者は破壊されてしまうでしょう」
「何を言うのです。そんな筈はありません」
そのようなことを言われて、僕は反射的に否定しました。
「ご主人様のなさることは全て正しいのです。メレン、一体どうしてしまったのですか?」
「そうか……、君は知らないのですね。この半年で、ミア様は何かしらの変調を来されているのです」
「おかしなことを言わないでください。ご主人様が変だなんて、口にしていい言葉ではありません!」
「ブラウ、私と一緒に来てください。どうしても君に説明しなければならないことがあります」
メレンは眉間に皺を寄せ、僕の腕を引っ張りました。
「離してください! ご主人様がおかしくなったなどと言う貴方に付き合うことはできません!」
僕は抵抗しました。ご主人様はいつもお優しいのです。メレンの言うことなんて、断じて許容できなかったのです。
「やむを得ん。君には少しの間眠ってもらおう」
不意に、ウォーケン様の声が背後からはっきりと聞こえました。
◆
再起動したとき、最初に視界に入ったのはメレンの顔でした。
メレンは心配そうにこちらを見ていました。そこにいるのは先程のような厳しい表情をしていない、いつものメレンです。
「メ……レン?」
僕が再起動したことを確認すると、メレンはどこかへと行ってしまいました。
メレンがいなくなった後、辺りを見回すと、そこはサーカスのテントとは違う場所のようでした。
「目が覚めたか。気分はどうだ?」
周囲の様子を窺っていると、ウォーケン様が部屋に入ってこられました。
「よく、わかりません……。それに、ここは一体……?」
目覚める前も、目覚めた後も、わからないことばかりです。
ですが、先程のように抵抗をすれば再び機能を停止させられてしまうでしょう。そのことは感付いていましたので、ひとまずウォーケン様とメレンが行動を起こすのを待つしかありませんでした。
少しの沈黙が流れた後、メレンが僕に目線を合わせて口を開きます。
「ブラウ、いまこの瞬間だけでも構いません。どうか私達の話を聞いてください」
「ああ。そして、自分の意志で判断してくれ」
メレンとウォーケン様は僕をじっと見つめて、静かにそう言いました。
「わかり、ました……」
二人の真剣な眼差し。その様子に、僕はただ頷くしかできませんでした。
「ブラウ、まずは君がサーカスを出ている間に起きたことを、データとして送る」
そう言ってウォーケン様は、僕とメレンをデータ送受信ケーブルで繋ぎました。
ケーブルを通して、メレンがサーカスで見てきた記録が流れ込んできます。
◆
サーカスでは、僕が連れ帰ったオートマタ達が人間に虐げられた苦しい時間を癒すように、思い思いに過ごしています。
サーカスはいつもと同じ、平和そのもののように見えます。
ですが、一部のオートマタが少しだけミア様の意思にそぐわない行動をしたところ、ミア様はすぐにそのオートマタを追放してしまわれたのです。
「えっ! ミア様……なぜ?」
「自分の使命を思い出した最初の頃は、こうではなかった。それは君も知る通りだ。だが、団長を放棄した辺りから様子が変わってきたのだよ」
「団長?」
ウォーケン様の『団長』という言葉に僕は引っ掛かりを覚えました。僕が仕えるご主人様は、後にも先にもミア様たったお一人です。
「ウォーケン様、その話はブラウを困惑させます。おやめください」
「ああ、そうだったな。すまない。気を付ける。では記録の続きを」
「ブラウ、この先の記録は君にとって辛いものになるでしょう」
メレンの声がケーブルを通して電子頭脳に響きます。
続いて電子頭脳に広がった映像は、メレンの言う通り、辛いという情動を揺さぶるに足る記録でした。
メレンが記録した辛いという光景。それは、自由意志が芽生えた上でなお、人間と過ごした思い出を捨てきれず、かつての主人のところへ戻りたいと希望したオートマタ達についての光景でした。
人間のところへ帰りたい。そう願っただけで、彼らは無残に破壊されてしまったのです。
「そん、な……」
僕はサーカスの外でオートマタの救済にほぼ全ての時間を使っています。そのため、サーカスの中でこの様なことが起こっていたなんて、全く知らなかったのです。
ミア様は、ご主人様は全てのオートマタに深い愛情を注いでいらっしゃる、絶対にそうである筈なのです。
ウォーケン様とメレンが共謀して僕を騙している可能性はありました。ですが、メレンの持つ記録に手を加えることは、いくらウォーケン様といっても不可能です。となると、この記録はミア様の様子がおかしくなってしまったことの証明になってしまうのです。
「三ヶ月ほど前、ミア様は私達を意にそぐわない者であるとして、サーカスからの追放をお命じになられました」
「どうして? メレンはミア様の側近です。それにウォーケン様は――」
「ミアの行動に疑問を抱いたのがいけなかったのだろう。その時にはもう、私の言葉は彼女に届かなかったよ」
ウォーケン様はオートマタらしからぬ大きな溜息を漏らされました。ウォーケン様自身も、ミア様に起きている事態に困惑されているのでしょう。
「一週間ほど前にやっとサーカスの中へ忍び込めたのだが、その時にはすでにこの有様だった」
「ミア様は、人間に情を向けるオートマタが存在するということを、絶対にお許しになられないようです」
メレンが目を伏せ、搾り出すような声でそう言います。メレンにとって、ミア様のこの変貌ぶりはあまりにも衝撃だったのでしょう。
「ミアに何が起きたのかはわからない。だが、このまま放っておく訳にもいかない」
「ウォーケン様の手でミア様を治療していただくことはできないのでしょうか?」
「今の私では、もう彼女を元に戻すことはできないだろう」
「では、どうしたら……」
僕はただただ困惑します。そんな僕に対し、ウォーケン様は別の問い掛けをなさいました。
「そこで君に尋ねよう。ミアを救うために、私達に協力してくれないか?」
「現在、サーカスの中と外を行き来できるのはブラウ、貴方だけなのです」
「もちろん、嫌なら断ってもらっても構わない。私達は君の自由意志を尊重したい」
本来のお優しいミア様を取り戻すため、そのために僕に何ができるのか。
ミア様のためできることは何なのか。
「わかりました。協力します。それで、僕は何をすればいいのでしょう?」
僕はウォーケン様とメレンを交互に見て、はっきりとそう答えたのでした。
「ありがとう、ブラウ」
僕の返答にウォーケン様は力強く頷くと、一つのトランクをテーブルの上に置かれました。
「これは?」
「トニー・ブロウニングという男が所持していたトランクだ。この中に、ミアを救う鍵となるフィルムが入っている」
「このフィルムをミア様に届ければよいのですか?」
「いいえ。どうもこのフィルムだけでは駄目なようなのです」
「フィルムの中身を調べたが、何の変哲もない家族のやり取りと、奇妙な三枚の画像が記録されているだけだった」
「では、どうしてこれがミア様を救う鍵になるのですか?」
「過去に私を救い出した男が言ったのだ。このフィルムが示すものにこそ、ミアを救う鍵があると」
「このフィルムに記録されている内容から作業用オートマタの存在が確認できたので、それを調査しました。ですが、そのオートマタの記録装置には強固なプロテクトが掛けられていたのです」
「ウォーケン様でも解除できなかったのですか?」
「その通りだ。それでもある程度の調査はできた。そのプロテクトの解除にはトニー・ブロウニング本人、あるいはそれに連なる者の情報が必要なのだ。しかも正規の手順以外で解除をしようとしたりプログラムの変更を加えようとしたりすれば、記録が消滅するように仕掛けが施されていた」
ウォーケン様ですら解除できないようなプログラムを施した者とは一体何者なのか。そしてそこまで厳重に守られている記録とは何なのか。疑問は次々と沸いてきます。
それらについても全て、ブロウニングという男かその身内を探し出せば判明することなのでしょう。
「私達はこの作業用オートマタの来歴の調査と、トニー・ブロウニング本人かその身内の者を探します」
「僕は何をすればよいのでしょう?」
「まずは、ミア様のご様子がこの先どうなっていくのか、それを定期的に連絡して下さい。それと、貴方も潜入先などでトニー・ブロウニングに関係する人間を探してください。見つけたらすぐに連絡をお願いします」
「頼む。ミアを元に戻す手掛かりはこれしかないのだ」
「わかりました。お任せください」
◆
ウォーケン様とメレンと別れた僕は、サーカスへと戻ります。
サーカスでは、子供達とヴィレアが壊れたオートマタを玩具にして遊んでいました。ミア様の変化は、ミア様ご本人だけでなく、周りのオートマタ達にも伝染しているようです。
「お帰りなさい、ブラウ」
それでも、ミア様は以前と変わらぬ微笑みで僕を暖かく迎え入れてくれました。
僕はミア様の前で、何もかも以前と同じように振る舞いました。
ウォーケン様に協力していることをサーカスの誰かに悟られてしまえば、ミア様が元のお優しいミア様に戻られる機会を永遠に逃してしまいます。
(ミア様、今暫く貴女を欺くことをお許しください。必ず、本来のお優しいミア様にお戻りになられるよう、身を砕いて頑張ります。)
僕はミア様に聞こえない声で、一人そう謝罪するのでした。
「―了―」