60クロヴィス2

2779 【懐疑 】

西区大通りで起きた暴動は、首謀者達が全員突然死するという結末で幕を下ろした。

これ以上暴動が拡がるようであれば、防疫対策としてヒマガ地区全体を隔離することも考えなければならない。

捜査本部は一刻も早く事件を解決しようと、奔走していた。

暴動によって被疑者の数が増えたことは、捜査の進展に影響した。死亡した首謀者達の部屋から、同じ種類の薬がいくつか発見されたのだ。

それらはすぐさまギュスターヴの科学捜査室に運ばれ、調査が行われた。

調査の結果、この薬は一見ごく一般的な抗菌薬に見えるが、実は本物の薬に偽装したもので、中身は全くの別物であることが発覚した。

加えてこの薬の中身には、ヒマガ地区に蔓延る謎の細菌が含まれていたことも判明した。

本事件に関する検証が進むにつれて、細菌の正体が徐々に明らかになっていった。

「この細菌には何者かによって手が加えられた形跡がある。突然変異などではなく、遺伝子改造であると断定しても問題ない」

ギュスターヴは淡々と報告する。

「犯罪組織が存在すると仮定して、ほぼ間違いなく、その組織には遺伝子工学を学んだ構成員がいるだろう」

「わかりました。捜査の参考にします」

「うん。それと報告書を提出しておくから、併せて読んでおくといい」

クロヴィスはギュスターヴの報告を記録した。

捜査官による聞き込みの結果、最初に発見した顆粒剤がどうしてあんな隙間にあったのかも判明した。

「現場となった店での証言なんですが、死亡した男はいつもカプセルの中身を開封して薬を服用しており、事件当日も同じように開封して服用していたとのことです」

「なるほど、開封時に何らかの要因で飛び散ったものの一部が発見された、という訳か」

「メーカーの説明によりますと、あの薬は食後に服用するものとのことです。事件が発生した時間から逆算すると、薬は現場であるあの店で服用した可能性が高いと思われます」

捜査本部は事件の関係者達が利用したドラッグストアや病院、そして薬の流通ルートの徹底的な洗い出しに着手した。

その結果、捜査線上に一つの卸売業者の存在が浮かび上がってきた。

その会社は数年前に起業された新興企業であったが、起業資金の出所に不明瞭な点があり、更に従業員に関する調査を進めた結果、その殆どが後ろ暗い過去を持つ人間ばかりであることが明らかになった。

「メーカー販売薬を偽装して細菌テロを行う犯罪組織か……」

「被害の拡大を防ぐために、まずは販売されている当該薬の回収を管理局に要請しよう」

「回収は隠密に進めた方がいいだろう。回収が犯罪組織に感付かれると、逃亡される可能性がある」

「となると、市民への警報システムを利用するのも駄目ですね」

「それと、既に市民が所持している当該薬についてはどうしましょう?」

「病院やドラックストアの購入情報から洗い出して個別に接触、その上で注意喚起を行うしかあるまい」

捜査本部で物事が急速に決定されていった。

間もなく、偽装した薬を運搬していた卸売業者の従業員を現行犯逮捕し、バックに付いていた組織に関する情報を吐かせた。

その情報から犯罪組織の拠点に関する位置情報を割り出し、間髪入れずに強制捜査に着手。乗り込んだ拠点では培養した細菌を搬出しようとしていた最中であり、全員が一斉検挙と相成った。

犯罪組織の構成員達は抵抗したが、検挙自体はスムーズに進んでいった。

犯罪組織の拠点となっていたビルにあるソファを調べていたクロヴィスは、ソファの隙間に押し込まれているレコーダーを発見した。

レコーダーの電源を入れると、何らかの会話を記録した形跡が見受けられた。会話の内容が気に掛かったが、今は再生できるほどの時間的余裕は無さそうだった。

「デュバル刑事、どうした? そろそろ撤収の時間だ」

「はい。組織内の会話を記録したと思われるレコーダーを発見しました」

「そうか。では、押収品のリストに入れておいてくれ」

拠点の捜索には、かなりの時間を要した。

だが、逮捕者の中にギュスターヴが示唆した『細菌を作り出せる知識を持つ、遺伝子工学を学んだ人物』の存在は見当たらず、この該当人物に関しては継続捜査がされることになった。

クロヴィスが捜査本部に帰ったときは、既に真夜中であった。他の捜査員達は翌日に備えて解散となっていたが、レコーダーの内容が気になったクロヴィスは、押収品が保管された倉庫を訪れていた。

倉庫ではギュスターヴが遺伝子改造に使われていた装置や器具を分別するために作業をしており、物音が響いていた。

「やあ、デュバル刑事。どうかしたかね?」

「ギュスターヴ技師こそ。もう捜査員達は解散しています。貴方もお休みになった方がよろしいのでは?」

「おっと、もうそんな時間だったのか。では、一度戻るとしよう。ところで君は何をしにここへ? 私を迎えに来たのではあるまい?」

「押収したレコーダーの内容を確認しようと思いまして」

「ほう。そんな物が見つかっていたのか。私も一緒に確認していいかな?」

「ええ、勿論。遺伝子改造についても何かが記録されているかもしれませんし」

ギュスターヴ立会いの下、レコーダーの再生が始まった。

組織の拠点で逮捕したリーダー格の男の声が聞こえてきた。随分と酔っ払っているようで、何とか話している内容は聞き取れるものの、呂律が回っていない箇所が多々あった。

『なんだよ。まだ疑ってんのか? 逮捕されたって、その後はぜ~んぶ統治局が何とかしてくれるんだって。何べん言やあ理解すんだよ?』

『だから、その統治局ってのが怪しいんじゃねえか。なぁ、本当に俺達、捕まっても大丈夫なのか?』

『だいじょうぶ、だ~いじょうぶ。お前だって見ただろ? 統治局が用意した新しい住居と職をよ。それにだぜ、逮捕されたあと、ちょっとの間だけブタ箱を我慢すりゃ、それだけで中央の特別病院で整形手術までしてくれるってんだぜ? まさに新しい人生を歩めるってもんじゃねえか』

『そんな都合のいい話、本当に信じて大丈夫なのかよ?』

『昔の仲間がよ、同じようにやって成功してんだ。安心しろって。ぜ~んぶ統治局様に任せておけば、万事上手くいくんだよ』

このレコーダーはわざわざ隠されていた。つまりそれは、リーダー格の話が信用できずに疑心暗鬼となった誰かが、言質を記録するために仕込んだ可能性が非常に高い。

「こ、これは……」

「ふむ」

動揺を隠せないクロヴィスに対し、ギュスターヴは顔色一つ変えずに記録を聞いていた。

この会話記録をそのまま受け取れば、今回の細菌テロ事件は全て統治局によって仕組まれたものである、ということになってしまう。

「明日の朝、このレコーダーを捜査本部で公開しましょう」

「そうか、わかった」

クロヴィスはギュスターヴにそう告げる。ギュスターヴはそれに頷き、その場は解散となった。

翌朝、クロヴィスはレコーダーを持ち出すために押収品が保管された倉庫へ向かった。しかし、件のレコーダーは忽然と消えていた。

おかしいと思い、押収品を管理する部署でレコーダーのことを尋ねたが、逆に事務官の一人に訝しげな顔で見られてしまった。

「会話記録が残ったレコーダーですか? そのような物が押収されたという記録はありません。何かの間違いでは?」

「そんな筈はない、私は確かに……」

「では、一応照会してみます」

「すまない。それと、照会用のリストが出たらこちらにも開示してもらえるかな?」

「わかりました」

程なくして、犯罪組織の拠点から押収した物品や通信記録などのリストが送られてきた。

しかし、レコーダーの存在はそのどこにもなかった。記録が改竄された形跡も見当たらない。つまり、レコーダーの存在だけが消え失せているのだ。

クロヴィスは倉庫を出たその足で、ギュスターヴが常駐しているであろう科学検査室を訪れた。

昨晩、レコーダーの記録を聞いたのは自分とギュスターヴである。自分以外にあのレコーダーの存在を知っている人間は彼しかいない。

それに、レコーダーの記録を聞いても彼は少しも動揺しなかった。その事に引っ掛かりを覚えていた。

ギュスターヴは最上位のテクノクラートだ。何か理由を知っている可能性が高かった。

「デュバル刑事、何かあったのか?」

ギュスターヴは必死な表情を浮かべるクロヴィスを、いつも通りの柔和な態度で迎え入れた。

「貴方は知っていたのですか?」

思い詰めたクロヴィスは、いきなりギュスターヴにそう問い掛けた。

「急にどうした? 疲れているのなら、少し休んだほうがいいぞ?」

「いいえ、そうじゃありません。貴方は今回の事件の全てが統治局によって仕組まれたものだと知っていたのですか? だから――」

クロヴィスの搾り出すような声に、ギュスターヴは目を細めた。

彼の人好きのしそうな柔和な笑みが、少しだけ深くなったような気がした。

「君はちゃんと寝ているのか? 捜査を円滑に進めるためには、十分な休息が必要不可欠だぞ」

「真面目に答えてください!」

茶化すようなギュスターヴの物言いに、クロヴィスは語気を強めて静かに言い放つ。

自らが信じている正義や体制が覆されるような事実の一端を知ってしまった以上、更なる欺瞞や嘘に翻弄されたくはなかった。

「そうか、そうだな……。どうしてもその疑問に答えが欲しいと言うのなら、今から君の端末に送る場所に来るといい」

ギュスターヴは自身の端末を操作すると、クロヴィスの端末に位置情報のデータを送信した。

「ここに行けば嘘の無い発言を聞かせていただけると、そう考えてよろしいのですね?」

「君が納得できる答えを用意できるかはわからないが、嘘や誤魔化しなどは存在しないことを保証しよう」

「いつ頃お伺いすればよろしいですか?」

「君の好きな時で構わんよ。覚悟が決まったら連絡を寄越してくれたまえ」

目の前のテクノクラートは柔和な笑みを消し、真剣な面差しでクロヴィスを見る。

クロヴィスもギュスターヴの目を見返した。彼の目には何かを偽ろうとするような意思は見て取れない。

「わかりました……。すみません、戻ります」

クロヴィスは頭を下げると、科学捜査室を退室すべく踵を返す。

「だが、一つだけ忠告しておこう。知れば戻れなくなるぞ。それだけは覚悟しておくように」

ギュスターヴの声が背中にぶつかるような感覚があった。

科学捜査室を出たクロヴィスは、自身の端末に送られてきた位置情報を確認した。その場所はテクノクラート達の研究施設と邸宅が置かれている区画であった。

その場所でギュスターヴの話を聞いてしまえば、今まで絶対的に抱いてきた価値観が全て崩れ去ってしまうのではないか。ふと、そんな予感がした。

クロヴィスを待ち受ける『何か』が、彼の心に重くのしかかってくるのであった。

「―了―」